第17回 聖書を読む会

shuichifujii2008-11-22

 今日は第17回聖書を読む会。酒田からMさんご夫妻、Tさんご家族、Oさん、Yちゃん、Hさん、Sさん。そして私たち家族5人の14人。仙台からIさんご夫妻(写真はIさんからいただいた手作りのリースです)、Yさん、Mちゃんの4人、東京から義母の19人。


 酒田からの参加者が増えていることはうれしいことです。また、いつもながら、何時間もかけて、あるいは泊りがけで酒田にきてくださる方々に、本当に感謝です。わたしが逆の立場だったらできるだろうかと、思わされます。


 今日は、TRさんに証をお願いいたしました。証とは、神様が自分の人生にしてくださったことを語ることです。TRさんは30年以上まえの出会いから、今、のぞみキリスト教会の礼拝に出席するまでの神様の不思議な導きを、楽しく語ってくださいました。自分は麻生総理と似ていて、失言することがあるからと、完全原稿を用意されるところがまた、TRさんらしいなぁと思います。


 でも、原稿がありますから、今日参加することのできなかった山形教会のみなさんにも、お分かちさせていただきますね。


 仙台のIさんの聖書からのメッセージは、途中、賛美歌を歌われたりしながら、信仰の確信をついてくるメッセージ。私たちはいったいなにを求め、何に安住し、なににすがって生きているのかが問われ、過ぎ行くものではなく、永遠の神に目を向けさせられるメッセージでした。


 その後の分かち合いのときも、それぞれ、心の深いところから、語られた聖書の言葉に応答して、その思いを分かち合えたと思います。あらためて、聖書の言葉はすごいと思います。


 今は、問われたり対決することを避ける時代ではないでしょうか。つい、今の自分をそのまま肯定してくれる言葉には心を開くけれども、反対に、「あなたは変わらなければならないのではないか」と問いかけてくる言葉には、心を閉ざしてしまう。しかし、それでは、せっかく聖書を読んでいても、成長し変化していくことは難しい。


 聖書にある、一見厳しい言葉は、実は神の愛のゆえなのです。「本当にあなたはそのままでいいのかい。変わらなければならないんじゃないのかい」と、私たちの成長を願い、救いを願って、語りかけてくださっている、神の愛の語りかけ。


 聖書の言葉の中で、耳に痛い言葉こそ、実に、神の愛が詰まっているのですね。そのことに気がついていきたいなと、思わされた、今月の聖書を読む会でした。