祈りの旅路

PRAYER:TRANDFORMING FRIENDSHIP /James Houston
邦題「神との友情」あなたを変える祈り/ジェームズ・フーストン


P.308より


「ひたすら「成功」の追及にまい進するとき、わたしたちの人生はまるで心というものを持たない機械のようになります。わき目も振らず、誰の言葉にも耳を貸さず、さまざまな人間関係を破壊し尽くしてまで断固、「成功」という目標に一直線に突き進むさまは、どこか自分と周囲を否応なく破滅させる霊的呪縛の匂いがあります。人生をもっと不思議と驚きに満ちたものとして受け止め、もっと人間関係に時間とエネルギーをつぎ込むとき、私たちは初めて神に祈る必要を感じるようになります。


 私たちの社会が抱えるプロフェッショナリズム病の背後には、更に深い問題が隠れています。私たちは学校の成績をほめそやす一方で、道徳や情緒面、また人間関係における成熟をないがしろにする傾向があります。キリスト者の親であっても、自分の子供がオックスフォード大学やエール大学の特待生になることのほうが、信仰者として忠実にいきることよりもずっと大切なことになってきています。その結果、社会はモラルの欠如した技術偏重の頭でっかち人間であふれているのです。


 罪による倒錯がもたらす幻想によって、現代人は巨大な経済機構の中にあって、情緒的な生き方など仕方なく我慢してやっている幼稚な連れ合いのようなものだと思い込んでいます。人間関係を軽く考え、それと引き換えに学歴、高収入、業績を追及することで、家庭崩壊、人格的アイデンティティーの欠如、ついには孤独を自らの身に招いているのです。思索することは、愛することの代償にはなり得ず、愛なしに人は真に生きられないのです。私たちの生活を豊かにする道具として神は人に思考力をお与えになったのであって、思考はいのちそのものに取って代わるべきものではありません。


 人間が動物と大きく違うのは、人間は深い交わりを築くことができるという点です。それゆえ祈りは、人間とは何かを示す中心的な核であるとも言えます。<中略>


 ですから私たちはみな、神がわたしたちをさらに本当の意味で人間らしい存在としてくださるように、祈りの旅路を行かなくてはなりません。」