素敵な人々

 今日の礼拝は、Tさんご夫妻、ユキティさん、Oさん、Yちゃん、そしてわたしたち家族のいつものメンバーに、昨日の「聖書を読む会」にこられたIさんが来てくださり、また、長くエホバの証人という組織にいて最近脱会されたAさんという方が、初めて礼拝に参加されました。総勢、12名


 お二人の新しい方を、TさんやOさんがよくお気遣いくださって、本当にうれしかったです。


 Oさんが、「教会は自分のことより、お互いのことを気遣うところがいいと思います」ということをいわれて、本当に皆さん、そんな方々だなーと感謝。


 今日のように、初めて来られる方が何人かこられると、牧師だけではどうにも対応できません。お互いの気遣いと支えあいが、大切なのだなぁと痛感です。


 教会にこられるかたは、どこかしら弱さを抱えていたり、受け止めてほしいという願いをもっておられるもの。


 それを受け止めて差し上げるのは、大変エネルギーを使うもの、疲れることもあります。


 今日は、いつものメンバーの方々が、はじめてこられた方を、そうやって、受け止めてくださる姿をみて、ああ、神様の愛に満たされているのだなぁ、とうれしく、感謝しました。


 また、礼拝のなかで、近況や証、祈りの課題などを分かち合って、お祈りする時間があります。


 Tさんの奥さんから「主人がいる場所でなんですけど、以前は、主人が忙しい時期は、一メートル以上立ち入り禁止って感じだったんですが、最近は同じ状況でも、一メートル以上近づけるようになって(笑)、『お父さん変わったね』と娘といっているんです。」という言葉や、


 Tさんも「今までわたしたちの夫婦は、業務連絡のような会話が多かったけれども、教会にきて共通の話題ができてよかったです」といううれしい話。


 ユキティさんは「以前はわけのわからない不安に襲われることもあったけれども、最近はそういう不安はなくなりました」という言葉。


 Oさんも「今までいらいらして仕事で部下に当たることもあったけれども、最近は部下の失敗をゆるせるようになってきました」という言葉も


 Yちゃんは「自分は大丈夫なんですが、友達のことが心配で」と友人を気遣う言葉。


 問題や課題が人生からなくなることはないけれども、そのただなかで、神様によってなにか新しい「変化」が与えられているんだな、とうれしくなりました。


 なによりも、みなさんがご自分を飾ったりなさらないで、自分の弱さを語られながら、その「変化」を喜んでおられる姿に感動。


 自分の「弱さ」や「失敗」を語れる人って、本当に素敵だと思います。なぜなら、その言葉は、人を「ホっと」させてくれるし、その言葉に人は「慰め」られるからです。


 「人を慰める人になろう、愛する人になろう」と頑張ると、回りはプレッシャーを感じるし、結局、自己満足なだけのことも多いですね。


 いつも、教会に来てくださっている方々は、そういう意味で、周りを
ホっと」させてくれる、とても素敵な人々なんです。