顔を会わせる喜び

 同じ町内のパーマ屋さんが、「チューリップ畑が綺麗ですよ」と教えてくださった「いこいの村」というところに、学校から帰ってきた子どもたちを連れてお散歩。チューリップはまだ少ししか咲いていませんでしたけれど、桜の花は満開で、チューリップの花とのハーモニーが美しかったです。


 先週の土曜日は、多くの方々と交わりをいただき、日曜日の朝は東京からきたIさんと礼拝を献げさせて頂き、その午後は山形教会のみなさんと顔をあわせることができ、本当に元気を頂きました。顔と顔を会わせることをもってしか伝わらない励まし、力のあることを、実感しています。


 今、インターネットやビデオで、礼拝する教会が増えてきたようですけれども、顔と顔をあわせず、同じ空間を共有しないで、共に礼拝するということが果たして成り立つのかな、霊的な励ましを得ることができるのかな、と思います。たまに、著名な牧師の説教をインターネットで聞いたりしますが、勉強にはなっても、語る人が目の前に存在しないことからくる、実体のない言葉のむなしさを感じてしまいます。


 それよりも、他のクリスチャンとともに、顔と顔を会わせ、心を開いて聖書を読み、語り合い、祈りあい、賛美するほうが、どれだけ幸いなことでしょうか。

 そもそも、それが幸いなのだ、ということに、どれだけの人が気付き、実感しているのでしょうか。



詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい。そして、いつも、あらゆることについて、わたしたちの主イエス・キリストの名により、父である神に感謝しなさい。」エフェソ5章19節〜20節



「何とかしていつかは神の御心によってあなたがたのところへ行ける機会があるように、願っています。あなたがたにぜひ会いたいのは、“霊”の賜物をいくらかでも分け与えて、力になりたいからです。あなたがたのところで、あなたがたとわたしが互いに持っている信仰によって、励まし合いたいのです。」ローマ1章10節〜12節