「過去の過ちから学ぶ」

今日の祈祷会のメッセージ

 祈祷会では毎回、旧約聖書から、イスラエルの歴史を学んでいますけれども、当然、短い時間では、細かい出来事をいちいち学ぶことなどできません。それに、出来事をただ学んでも、あまり意味がない。やはりそこには、神の民であるイスラエルが失敗していった、その歴史から、わたしたちにとっての、信仰の教訓を得るというところに、歴史を学ぶ意味があると思っています。つまり、信仰という視点から、この王様はどこに問題があったのか、なぜ、彼らは神から離れてしまったのかというところに特に注目して、教訓を得たいと願っているわけであります。

 今までの学びは、主に、北と南に分裂したイスラエルの、特に北王国の流れを追って、北王国が神から離れたゆえに、滅んでいくその過程を学びました。北王国は、もともとの成り立ちからして、ソロモン王への謀反から始まり、謀反に継ぐ謀反の歴史であり、そもそも、謀反というものは、つまり、上に立てられた権威を恐れないということでありますから、そういう謀反を起こした人間が王になってもろくなことにはならない。北イスラエルに、神を恐れ敬う王というものは、ほとんど現れてこなかったわけであります。中でも、六代目のアハブ王は最もひどく、バールという異教の信仰を大々的にイスラエルに持ち込んで、北王国を滅亡へと導いたわけでありますけれども、このアハブは、後に南王国にも悪影響をあたえる王様でありました。

 この北王国の歴史は、列王記にくわしく記されていきます。

 さて、それに対して、ダビデ、ソロモンの系統を継ぐ、南ユダ王国の流れは、これは列王記ではなく、歴代誌の方に詳しく記されていますけれども、今日は、その南ユダ王国の中から何人か、王を簡単に取り上げて、信仰という観点でみて、そこから教訓を得たいと願っています。

 さて、南ユダ王国の初代の王は、ソロモンの息子、レハブアムという王です。詳しいことは省きますけれども、このレハブアムという人について記されていることで、特に、信仰という視点でみるとき、まず、目にとまるのは、歴代誌下の11章13節以下の言葉であります。

11:13 イスラエル中の祭司とレビ人は、そのすべての領土からレハブアムのもとに集まって来た。
11:14 レビ人が自分の牧草地と所有物を捨ててユダとエルサレムに来たのは、ヤロブアムとその子らが彼らを遠ざけ、主の祭司であることをやめさせたからである。
11:15 ヤロブアムは、聖なる高台、山羊の魔神、自ら造った子牛に仕える祭司を自分のために立てた。
11:16 またレビ人に続いて、イスラエルのすべての部族の中から、イスラエルの神、主を求めようと心を定めた者たちが、エルサレムに出て来て、先祖の神、主にいけにえをささげた。
11:17 彼らは三年間ユダの国を強くし、ソロモンの子レハブアムを支援した。彼らが三年の間ダビデとソロモンの道を歩んだからである。

 とあります。つまり、イスラエルが北と南に別れた時に、北の王様は、民が南王国にあるエルサレムに礼拝に行かないように、独自に祭壇を作ったり、独自に祭司を立てたり、そういう事をした。そこで、もともとの祭司やレビ人が、南王国に亡命してきたわけであります。そういうこともあって、このレハブアムという王は、即位したはじめは、イスラエルの宗教を大切にし、神を恐れる王として生きた。それゆえに、祝福され、国力も得ていくという、そういうスタートを切ったわけでしたが、それも最初の三年間であって、

12章1節をみると、

「 12:1 レハブアムは国が固まり、自らも力をつけると、すべてのイスラエル人と共に主の律法を捨てた。」

 となってしまったわけであります。最初は神を恐れる良い王としてスタートしておきながら、祝福を受けて、力を手に入れると、神を捨ててしまう。それがこのレハブアムという王の姿であります。それゆえに、この後、エジプトの王の侵略を受け、神殿や王宮の財宝を奪われてしまいます。せっかく受け継いできた信仰の遺産を、奪われていく。それがこのレハブアムという王の姿であります。

 さて最初は熱心であったのに、豊かになったり、力を得ると、本来の信仰から離れていってしまうということが、クリスチャンの人生にも残念ながら、起こるのだと思います。あの人は、昔は熱心だったのに、今は、すっかり教会から離れてしまったという人を、一人や二人は思い浮かべることが出来るわけですけれども、イエスさまも、最後まで堪え忍ぶ者は救われると言われますし、また、ヘブライ人への手紙の3章12節に、

3:12 兄弟たち、あなたがたのうちに、信仰のない悪い心を抱いて、生ける神から離れてしまう者がないように注意しなさい。
3:13 あなたがたのうちだれ一人、罪に惑わされてかたくなにならないように、「今日」という日のうちに、日々励まし合いなさい。――
3:14 わたしたちは、最初の確信を最後までしっかりと持ち続けるなら、キリストに連なる者となるのです。

 という言葉もあります。今、信仰があっても、ある時、罪に惑わされて、神様に対して、かたくなになってしまうということが起こりえる。だから、「今日」という日のうちに、日々励まし合うようにと、教会の交わりのなかにとどまるように言われているわけですけれども、ですから、このレハブアムの姿は人ごとではなくて、わたしたちもまた、そういう罪に誘惑される弱さを持つ者なのだと、教訓にしたいわけであります。
 ただ、このレハブアムは、エジプトに責められるという試練のなかで、彼はへりくだったと記されています。12章12節には、「王がへりくだったので、主の怒りは彼から離れ、彼が徹底的に滅ぼされることはなかった。ユダにも良いことがあった」とあります。人の弱さゆえに時に、道を外すことがあっても、主の前にへりくだり、悔い改めなら、戻ることが出来る。それはわたしたちにとっては十字架の贖いゆえでありますけれども、悔い改めるなら、主は憐れみ赦してくださる、その恵みに大いに感謝したいと思います。

 さて、このレハブアムの後の王は、アビヤ王、その後がアサ王と続きますが、このアサ王の信仰のあり方からも、わたしたちにとっての教訓を得ることが出来るのではないかと思います。
 まず、14章1節からみますと、このアサ王は、その神、主の目にかなう正しく善いことを行った王であると、そのような評価がなされる、信仰的に大変良い王としてスタートします。実際、このアサ王は、イスラエルから偶像を取り除く宗教改革を行った人で、ソロモンの時代から、イスラエルに入ってきた、異教の神々を、彼は徹底的に排除し、それゆえに、15章の一番最後にいわれているように、実に彼が治め始めてから35年間。神の祝福を得て、戦争がなかったとあります。そのように、南ユダに、信仰と平和をもたらしたこのアサ王でありますけれども、しかし、最後の最後に、このアサ王は失敗をいたします。それは16章に記されている出来事ですけれども、即位36年目に、北イスラエルが責めてくるということが起こります。ところが、それまで長いこと戦争をしていなかったので、神様に助けを求めることがなかったからなのか、ここでアサ王は、神に助けを求めるのではなく、アラムの国に助けを求め、アラムを味方に引き込むために、神殿の大切な宝を、アラムの王に贈り物として送ってしまうのであります。つまり、神を礼拝するよりも、アラムにすがってしまう。それゆえに、16章の7節からこう言われています。

16:7 そのとき、先見者ハナニがユダの王アサのもとに来て言った。「あなたはアラム王を頼みとし、あなたの神、主を頼みとしなかった。それゆえ、アラムの王の軍隊はあなたの支配を離れる。
16:8 クシュ人とリビア人は非常に多くの戦車と騎兵を有する大きな軍隊であったが、あなたが主を頼みとしたので、主は彼らをあなたの手に渡されたではないか。
16:9 主は世界中至るところを見渡され、御自分と心を一つにする者を力づけようとしておられる。この事について、あなたは愚かだった。今後、あなたには戦争が続く。」
16:10 アサは先見者のこの言葉を聞いて怒り、彼を獄に投じた。この事で彼に対して激しく怒ったからである。またアサはそのとき、民の中のある者たちを虐待した。
16:11 アサの事績は、初期のことも後期のことも、『ユダとイスラエルの列王の書』に記されている。
16:12 アサはその治世第三十九年に足の病にかかり、その病は極めて重かった。その病の中にあっても、彼は主を求めず、医者に頼った。
16:13 アサはその治世第四十一年に先祖と共に眠りにつき、死んだ。

 アサ王は、自分の不信仰を指摘されたとき、悔い改めようともせず怒った。そして、病にあっても、主を求めないで、医者に頼ったとあります。当時の医療は、今の医学とは違って、呪術的な面がありましたから、そういう呪術のほうを、このアサ王は信頼したということであります。かつて、偶像を取り除き、宗教改革を行い、35年ものあいだ、イスラエルに平和をもたらしたアサ王は、信仰的に、最後の最後になって、つまずいてしまう。そして、レハブアムのように、へりくだり、悔い改めることも出来ず、生涯を終えていきます。

 この王の姿を、私たちに対する信仰の教訓として受け止めるとすると、どういう事になるでしょうか。信仰において、昔の功績を懐かしんではならず、常に、今、この時、神を信頼していきるということでもありましょう。豊かさや、あるいは、長い間つづいた平和のなかで、神を信頼することを忘れてしまうとき、神の祝福も取り去られるという教訓としても受け取ることが出来ます。

 私たちのこのときわ台教会が、これまで豊かに祝福されてきたのも、それは、集まってきた人が経済的に豊かだからとか、そういうことではなくて、その信仰ゆえに、神様に祝福されたがゆえに、これまで沢山の恵みを頂いて、きたわけであります。これは、人の力ではなく、信仰を通していただいた神の祝福であります。

 しかし、教会というのは、いつも平和でなにも問題がない状態であるわけではありません。最近の、「週報」や「神の家族」をみて頂ければ、わかるように、教会の財政は、正直いって厳しい状態です。伝道活動をもっとしていこう。もっと神様のために働こうと思っても、財政からいうなら、それが出来ないか、縮小さえしなければならないかもしれません。

 わたしは、これは、わたしたちの教会に、神様が与えられた、ある意味試練だと受け止めています。そして、試練に合うときに、わたしたちの信仰が問われるわけであります。長い間、神様に叫ぶことを忘れていたアサ王が、アラムという、人の力にすがっていったようなことは、わたしたちはしたくない。そうではなく、熱心に主に祈っていきたいのであります。試練の時、わたしたちは、だれに叫び声をあげるのか。それこそが問われてくるのであります。財政の問題というのは、実に信仰が問われる問題であり、それゆえに、私たちの信仰が活性化し、大きく成長するチャンスにもなりうる、神様からのチャレンジでもあります。アサ王は、平和ぼけゆえか、そのチャンスを逃して、人にすがってしまいました。しかし、私たちは、この信仰に経つ絶好のチャンスをものにしたい。主に熱心に祈り求める、祈りのリバイバルへのチャンスとなってほしい。そう切に願います。ですから、この祈祷会でも、財政について、熱心に神の助けを祈っていきたいと、そう願います。

 さて、最後に、このアサ王の息子のヨシャファト王について、短く述べたいと思います。ヨシャファトという人は、大変信仰的な王で、彼は最後までその信仰を全うしました。その点では何の問題もありませんでしたが、しかし、彼が唯一失敗したのは、北王国のアハブ王、あのバール信仰にどっぷりつかっていたアハブと、姻戚関係を結んでしまったことであります。それによって、やがて、子どもや孫の世代になって、アハブの悪影響を受けて、主から離れるということが起こるのです。ヨシャファト自身は信仰を全うしたかもしれないけれども、次の世代、その次の世代に、負の遺産を残してしまった。結局そのツケを払わされたのは、ヨシャファトの子どもであったヨラム王であり、その孫のアハズヤという王であって、彼らは偶像礼拝にそまり、結果、悲惨な人生を送ることになるわけであります。

 信仰の遺産を継承するということは、実に大切なことだと、ここから教訓を得ることができるように思います。

 この前の日曜日の朝、三階の小礼拝堂の横にある部屋が水浸しになっていまして、天井の配管から漏れたようですけれども、もう、この会堂も17年たちまして、表面上はきれいでも、内部はかなり老朽化しているところがあります。

 この教会堂を、私たちが、後の世代の人々に引き継いで行くためには、毎年数百万というお金が必要であることが、わかっています。しかし、わかっていてもそれをする力がないのが現状であります。しかし、それをしなければ、この建物は孫の世代にまで、引き継げないことは明らかです。そうなれば、孫の世代の宣教の業は停滞するでしょう。そしてそれは、孫の世代の信仰の責任だということではなく、今の私たちの、信仰の課題であると、受け止めたいのであります。

 ヨシャファト王は確かに素晴らしい信仰的な王であり、自分自身はその信仰を全ういたしました。しかし、子どもや孫の世代を苦しめることになる、信仰上の失敗を、彼自身気がつかないまましていたのであります。この教訓から、私たちも学ぶものでありたいと、願います。

 南ユダの王の姿から、信仰の教訓をくみ取ってきました。
彼らが失敗した姿を見ると、わたしたちは大丈夫だろうかと、そんな思いもするかもしれません。
しかし、わたしたちには、今、イエスさまがともにいて下さって、最後まで私たちを支えてくださることに信頼したいと思います。

パウロはコリントの教会に向けて、1:8 主も最後まであなたがたをしっかり支えて、わたしたちの主イエス・キリストの日に、非のうちどころのない者にしてくださいます。

と語りました。あの不品行と不道徳に満ちていたコリントの教会でさえ、主は最後までしっかり支えてくださり、いつか、非のうちどころのない者としてくださるという、主がしてくださるという恵みと希望が、イエスさまを信じるわたしたちにはあるのであります。

ですから、恐れることなく、過去の過ちから学びながら、失敗を恐れることなく、主に祈っていつも前に向かって歩む力を頂いてまいりたい。そうやって、主の栄光を表わす教会となっていきたいと、そう願います。