イエスキリストによらなければ

聖書はイエスキリストによらなければ、父なる神のもとへ行くことができないと言います。
そんなの排他的だ、傲慢だという人もいます。
しかし、真理というものはもともと排他的です。
Aが真理なら、Aでないものは真理ではない、としなければなりません。
それに、キリスト教だけが排他的な発言をしているわけではありません。宗教とは基本的に排他的なものです。
無神論さえも、神を信じる人の価値観を否定する意味で排他的なのです。
また、ある人は、どの宗教も基本的な考えは同じだと思っています。宗教をよくしらないのでしょう。
ヒンズー教では神と人間は同じレベルです。仏教には創造主の概念すらありません。みんな根本的に違うのです。
もちろん道徳のレベルでは共通する主張があるでしょう。
しかし、宗教は道徳以上のものです。信仰は、単に良い生き方をするためにあるのではありません。
神から離れ、霊的に死んでいた人間を、甦らせるために、キリストは来たのです。
キリスト教は良い生き方が目的ではなく、それは救われた結果生み出される実となります。
他の多くの宗教は、倫理的な生活を送る自己努力によって自らを高い位置に上げる方法を提供しますが、キリスト教は、人間の自己努力ではなく、キリストによる罪の贖いと、永遠の命を約束します。
そのためには、ただキリストを信じ委ねる決断をすればいいのです。