憲法記念日に、9条について

憲法記念日ですね。
土井さんもでしたが、朝日もガチガチの護憲はやめたのですね。

<今日の朝日新聞社説 引用>
憲法記念日に思う――多彩な民意を直視して
 あと3年で還暦を迎えるのだから、なかなかのものではないか。57回目の誕生日を迎えた日本国憲法である。少しの修正もされぬまま、よく頑張ってきた。
 だが、人間なら定年退職に近い年だ。激変の時代でもある。そろそろ発想転換が必要なのかもしれない。・・・

中略

 最大の焦点である9条はどうだろう。「戦争放棄」の原則は問題ないとして、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」という部分で意見が割れる。

 自衛隊を創設して間もなく50年。自衛や災害に備えるのが目的であり、軍隊や戦力にはあたらないという解釈のもと、自衛隊はすっかり当たり前の存在になった。海外での国連平和維持活動(PKO)への参加も回を重ね、国民の理解は深まった。

 だが、成長した自衛隊はいまや世界で屈指の戦力であり、立派な軍隊ではないか、憲法はごまかしが過ぎる。そんな声も強まってきた。「9・11」のあとは、インド洋上へ、イラクへと、大きな議論の末、PKOの枠を超えた自衛隊の海外派遣も続いた。

 それが改憲論にもつながるのだが、目を引くのはここでも「護憲的改憲論」の台頭だ。憲法自衛隊の存在を明記しつつ、役割に歯止めをはっきりかけよう、といった発想である。それも一つの考え方に違いない。国連軍的な部隊への参加を明記する考え方もある。増えた9条改正論も、中身は幅が広がった。護憲と改憲はまだら模様になっている。

<引用終わり>

 私の印象では、自衛隊が発足した時点で、9条の1項はともかく、2項はその内実を失い、実質、自衛隊に対する具体的な歯止めを憲法によって期待できなくなったことは、疑いない事実のように思います。極論をいえば、9条ゆに「非戦闘地域」なるまやかしも生まれ、結果として自衛隊は今イラクにいるのかもしれません。

 ただ、「平和がいい」「戦争はいやだ」という感情論から、思考停止的に9条護持を叫べば叫ぶほど、その願う状況とは反対の方向に事が進んできたのではないでしょうか。そのことに左の人々も少し気がついてきたのかもしれません。

 キリスト教のなかにも、9条の平和主義は聖書的ゆえに護持であるという立場もあります。私も以前はそう考えたこともありました。しかし、今は疑問です。終末論的希望として9条の述べるような姿が希望として語られるとしても、まだ人間のお互いの間に罪と悪が厳然として存在する世において、悪から身を守ることをいっさい放棄するということが、平和主義であり、聖書的な考え方というのは、あまりにもナイーブでまた矛盾した考え方だと思います。もし一切の自衛権を放棄するというならば、同時に警察からも拳銃を取り上げるべきでしょうし、強盗などから身を守るための、一切の自衛の権利をも放棄するべきです。自衛は国民としては悪で、個人なら善というのは、どう考えても矛盾です。

 また、自衛隊は結果的に人を殺すではないか。「殺してはならない」という聖書の教に反するからだめなのだという意見も聞きます。

 「殺してはならない」という律法は、相手に殺させないように、自衛する必要をも含んで捉えるべきだと考えます。盗みたくなるようなところに大金をおいて「盗んではならない」という律法を相手に安易に破らせないこととにています。大金は金庫にしまっておくべきなのと一緒で、国は自衛の手段を持つべきです。日本は、大金を持つ国です。地政学的なこともあります。コスタリカ(軍隊を持たない)とは違うのです。

 繰り返しになりますが、ただ、「平和がいい」「戦争はいやだ」という感情論だけで思考停止的に9条護持を叫んで、9条が永続したとしても、アメリカの属軍への歩みは止められないと考えます。

 それゆえに、集団的自衛権は否定し、個別的自衛権のみに「厳しく」限定した上で自衛隊の存在を認知するべきだと考えます。そうすれば自衛隊とは自衛のための組織と明確に規定できるのですから、国外にはいっさい自衛隊を出さなくてもいい。国際貢献などという甘い言葉にごまかされて、アメリカの戦争に巻き込まれたりすることもない。アメリカさんには「日本は憲法によって、自衛隊を国外に出せなくなったんですよ」と言えばいいじゃないですか。アメリカさんとは、軍隊じゃないおつきあいをしましょうよ。国際貢献も、なにも自衛隊じゃなくてもいくらでも出来るんですから。そうして、「自国の防衛のみ」と自衛隊を限定する憲法を基盤に、今後軍事においてアメリカさんのお世話にならなくてもいいように、また、自衛隊武装も縮小していけるように、信頼し合える対アジア関係を構築する外交努力をしていくという事の方が、私は現実的な平和構築への選択であり、聖書的でもあると思います。

 もちろん同じ改憲といっても、アメリカとの関係の中で、集団的自衛権を認め、アメリカの属軍として自衛隊を国外に出そうとする、自民党などの改憲論とは、全く方向性が反対です。

 いずれにしろ、「平和がいい」「戦争反対」という、感情的思考停止状態では、ますます平和が遠のくように思えてなりません。平和で、戦争がない方がいいのは、だれも同じですが、その上で、本当に、戦わされたり戦ったりしなくてすむためには、どういう憲法であるべきなのかということを、憲法記念日の日に改めて考えさせられているわけであります。