「細胞は、空気を読む」

 分子生物学者の福岡伸一さんの「動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか」という本を先日読んでいて、福岡さんはこんな興味深いことを言っておられました。

一個の卵細胞が受精して分裂を始めて、2,4,8,16,32,64・・・・と細胞は分裂し増えていきます。分裂を繰り返した受精卵は、やがて中空のボール構造となり、この段階を初期胚といいます。その初期胚のなかでは、まだそれぞれの細胞は、その核の中に、最初に受精卵が持っていたゲノムの正確なコピーを持っています。つまり、この時点ではどの細胞にもなり得る万能性があるのです。

 しかし、ここで重要なのは、この時点では、それぞれの細胞は将来自分が何になるのかを知っているわけではないということです。そして、細胞全体を見回して、どの細胞が何になるべきかを上から指揮する者もいないのに、やがて各細胞はそれぞれ徐々に専門家への道を歩み始め、ある細胞は脳に、ある細胞は筋肉に、皮膚にと、それぞれ分化していくというのです。

 そしてこの分化がどのように決定づけられているのかというと、各細胞は周囲の「空気を読んで」、「あなたが脳になるなら、自分は手になるよ」と、細胞表面の特殊なタンパク質を介した相互の情報交換によって、すなわち「話し合い」「コミュニケーション」によって、自分が何になるのかを決めていくのだというのです。驚きです。

 そこで、細胞分裂をして何百個かの細胞の塊となったくらいで、まだ将来なにになるか決定していない時に、細胞同士をバラバラに分けてしまうと、細胞同士が互いに相談できなくて、死んでしまうのだそうです。
 ところが、条件を整えて死なないようにすると、自分がなにになるべきか分からないまま分裂をやめない細胞、いわゆるES細胞ができます。無個性のES細胞は無限に増え続けることが出来るのです。しかし、無目的に自己増殖を続ける、という意味では、がん細胞と同じです。

 この細胞の話を聞いて、わたしは思ったのです。細胞の世界も、人間の世界も同じじゃないかと。

 人は一人っきりでは、自分自身が何を目指して生きればいいのか見失い、生きられなくなってしまうこと。また周りと無関係に、ただ自分を大きくすることだけで生きれば癌細胞のように、周りや自分自身を破滅に至るらせることなどです。

 細胞のレベルで起こっていることのなかにさえ、神が定められたこの世界の在りよう、人の在りようが秘められているように思ったのです。

「主なる神は言われた。『人がひとりでいるのは良くない・・・』(創世記2章18節)

 一つの細胞だけでは、自分がいったい何もので、何になっていくのかが分からないように、人は自分一人では、自分がなにものなのか、自分は、どうなっていくべきなのかを知ることが出来ない。

 わたしはこのことのなかに、わたしたちにとって、教会という共同体が必要である理由を思うのです。わたしたちは、教会で出会うひとりひとりとの出会いと交わりのなかで、自分は何ものであるのかを知り、自分はどうあるべきなのか、どうなっていくべきなのかを感じ取り、聖霊に導かれてそのように成長していく仲間なのだと。

 その意味でパウロが教会のことを「キリストの体」に譬えたことは、実に意味深いことだと思ったのです。