「逃げない船長」(2014年4月20日週報巻頭言)

 イースターのお喜びを申し上げます。

 先日の韓国の旅客船セウォル号)が沈没した事故で、実は、乗客を残して船長と船員が先に逃げていたことが問題になっています。
 ひどい話だと思います。職務放棄であり、乗客よりも、自分の命を優先するなんて、人としてゆるせないと、そんな気持ちも湧いてきます。

 しかし、わたしは「逃げた」と聞いたとき、聖書の中にある、イエス様を見捨てて逃げた弟子たちのことを思い出したのです。

 彼らはイエス様に向かって「たとえ死ぬことになっても、あなたのことを知らないとはいいません」といいました。ところが、その数時間後、イエス様を邪魔だと思っていた権力者たちがイエス様を捕らえにきたら、結局、弟子たちはみんな逃げてしまうのです。
 もちろん、イエス様のために死んでもいいと思っていた彼らの心は、真実だったでしょう。逃げ出した時にも、彼らなりに葛藤はあったでしょう。でも、逃げてしまったことは事実です。そして、もしわたしもその場にいたら、きっと逃げたことでしょう。「仕方がなかったんだ」と自分に言い訳しながら。人間は弱いのです。みなさんはどうですか。

 結局、最後まで逃げなかったのは、イエス様だけでした。
エス様だって、逃げようと思えば、逃げることはできたのです。でも逃げませんでした。ご自分の命を救わないことが、人々の救いになることを知っておられたからです。

ある意味、乗客を救うために、最後まで逃げずに死ぬ船長のように

人は弱い。人は逃げる。人は他人どころか、自分の命さえ救えない。

しかしイエスさまは逃げないお方。

逃げることなく、十字架の上に命を捨てたイエスを、天の父は復活させられたのです。

このイエスによって、すべての人が救われ、そして復活するために。

 逃げることなく十字架につけられ、それゆえに神によって復活させられたイエス様こそ、私たちの人生の船の船長にふさわしいお方なのです。