「何が間違っているのか」(2014年1月5日週報巻頭言)

 2014年が始まりました。今年はどんな出来事がわたしたちをまっていることででしょう。
 さてある牧師のブログにこんなことが書いてありました。

 昔、英国のある有名な新聞が紙面に公開質問状を出した。
「この世界の何がまちがっているのか?」
 この問いに対して、20世紀最高の知性のひとり、クリスチャンの作家である、G・K・チェスタトンが実に簡潔にこう返信した。

 「記者殿、私です。敬具。
     G・K・チェスタトン。」

 わたしはこの答えに、ドキッとさせられました。「あの人だ」と偉そうに答えようとした自分が恥ずかしくなります。

 今の日本は、人の心が攻撃的で、偽善に満ちています。「あいつが悪い」、「こいつが悪い」という言葉があふれています。韓国が悪い、朝鮮が悪い、中国が悪い、という言葉が激しさを増しています。

そして、悲しいことに、教会の間や、クリスチャンの間でも、互いに愛しあわせる聖霊の働きより、攻撃しあうこの時代と同じ霊が働いてはいないでしょうか。

チェスタトンは、そもそも「この世界の何がまちがっているのか?」と問うその問いに、世の「やみ」を見ています。

自分の心の中にある「やみ」を見ようとしない、その人の「やみ」です。ゆえに、へりくだる心で神の前に、こう告白するのです。

 「記者殿、私です。敬具。
    G・K・チェスタトン。」

 「愛し合うこと」、「平和」は、いつも「神の前に、間違っているのはわたしです」と告白しあう関係から始まります。いやここからしか始まりません。

 「完全に清く正しい神の前に、わたしは間違っています」

 そのへりくだる心に注がれる、神の赦し。隣人への赦しと愛。

これこそがこの世界を救うことを信じ、この新しい年を共に歩みだしましょう。