写真は、昨日の教会のお昼。Hさんが作ってくれた豆乳とソーメン。
昨日は、山形教会からkご夫妻が訪ねてきてくださって、礼拝をささげ、お昼をご一緒しつつ、ゆっくりと語りあう恵みをいただき、感謝でした
ゆっくりと語りあって、心と心も繋がった感じがした、いい時。
そういうコミュニケーションって、本当に恵みです。
よく、お互いの言葉がすれ違ってしまったり、いくら言葉を連ねても、ちっとも分かりあえなかったり、言えば言うほど、言い争いになってしまうことが、よくあるじゃないですか。
それって、一見、思想とか考え方が違うので、そうなると思うけれども、そうじゃないんですよね。そもそも全く考え方が同じ人なんか、この世界にいないのだから。
考えが違っても、分かりあえるし、繋がりあえるときがある。それは「あなたと話したい」「あなたに話したい」。そんな「あなた」を大切に意識しているとき。
議論ばかりで、すれ違うときは、たいてい「あなたに話している」その「あなた」がどこかにいってしまって、「わたしが話している」ことばかりになるとき
「あなたを愛している」ということと、「わたしが愛している」というのが、違うのと同じ。「わたし」ばっかりで、「あなた」が不在なのですれ違う。
お互いの「わたし」が、果てしなく独りごとを交代でしゃべっているわけだから。繋がらないのは当然。そんな会話を夫婦でもよくやっている。
「わかりあえたな」「繋がったな」という恵みをいただくために、「あなた」に向かってまっすぐに語り、聞くことができますように。
お祈りですね。