「空気問題」

shuichifujii2012-12-12

 「周りの人をいつも意識し合わせる傾向の人」、反対に「あまり周りに影響されず自分の世界に集中する傾向の人」

一人の人の中にも両面あるとは思うけれども、どうしても個性はある。

「空気を読む」ことを美徳とする日本人のメンタリティーからすると、前者の傾向の人が、いわゆる「良い人」と評価されやすい気がする。後者は「空気が読めない人」となり、批判の対象となったり、叱られたりする。

学校のような、たくさんの子どもたちに一斉に教育しなければならない現場においては、周りに気づかい、周りと同じ行動を自ら進んでしようとする子は褒められ、「良い子」と評価されるのは必然。

一方、自分の世界のなかで深く思考する傾向があり、集団行動のペースについていけない、いかない子は、「自分勝手」「わがまま」と叱られる可能性が高い


「空気を読む」という評価基準は、国際基準ではなく、日本独自の価値基準。欧米などでは逆に、そのような周りをいつも意識し、周りに影響されて意思決定をする人は、人格が成熟していないと低い評価を受ける。仲間でレストランに行って、最初の人が「カレー」といったら、「わたしもそれ」「わたしもカレー」なんていう光景は、日本から一歩出たら、そうそうない。これは特殊なのだ。

「空気が読めない人」こそが持ち得る潜在能力と可能性を、ちゃんと認めて評価し、大切にしたい。

まず、自分自身の中に巣くっている「空気を読め」という価値基準を相対化する作業から始めたい。