赦し

「私たちは、望んだほどに愛してくれなかった自分の家族を赦すことができるでしょうか? 強制的だったり権威的だったり冷淡で情愛に欠けていたり、家にいないことが多かったり、あるいは、子どもより他人や他の用事ばかりに関心のあった父親を赦すことができるでしょうか? 
子供に執着したり、細かいことに口うるさく、思い通りにしたがったり、別のことに心奪われていたり、食物やアルコールや麻薬におぼれていたり、忙しすぎたり、あるいは、子どもより仕事上のキャリアをみがくことだけに熱心だった母親を赦すことができるでしょうか?
いっしょに遊ぼうとせず、友達の輪に入れてくれず、人をみくびる態度で話し、自分はバカで、存在価値がないかのように思わせた兄弟や姉妹を、赦すことができるでしょうか?
 そこには多くの赦しが必要です。それは単に、自分の家族がよその家族のように配慮してくれなかったことを赦すというより、わたしたちの持つ愛は、すべて不完全で限界があるという理由から赦すのです。わたしたちの親もまた、彼らの親から完全には愛されなかった子供だったのであり、祖父母たちでさえ、理想の親を持っていたわけではありません。
 そこには大きな赦しが必要です。もし私たちが自分たちの親、祖父母、を、彼らもまたわたしたちと同じく、愛されることを深く求めていながら、その多くの必要を満たされなかったことを見ることができれば、わたしたちの怒り、恨み、あるいは憎しみでさえ、乗り越えることができるでしょう。そして、その限りある愛もまた、真実な、感謝すべき姿であったことを発見するでしょう。」

ヘンリ・ナーウェン