弱さを知る強さ

 キリスト教信仰は弱者の宗教だと批判されることがあります。なにかあるとすぐ神にお願いする、祈る、自分で救いを達成し得ないために、神にすがることしかしない。そういう意味で弱い者の信仰だと言われます。

はたしてそうでしょうか。

 自分で自分の救いを成し遂げるということは、カッコよくはあっても、これほど不安定で危なっかしいことはありません。

 わたしたち人間の中に何一つとして救いに関する確かなものはありません。なぜ生きるのか、何のために生きるのか、なぜ死ぬのか。そして、自分を死から救うことができる確かなものを何一つ自分自身の中に備えていないのが人間です。

 その現実を「知る」とは決して弱い生き方ではありません。その弱さを知るゆえにキリストの強さにゆだねるのです。

 弱さを知ることによって、キリストにある希望と力に満ちた生き方が始まるのです。