礼拝って

shuichifujii2011-12-14

今日は酒田の冬には珍しい青空。午前中はお祈り会と、17日の「のぞみキッズ」クリスマス、24日クリスマスイブのパーティーのための準備をHさんIさんと共に。

 去年までは夫婦だけでクリスマスの準備をしていたことを思うと、こうして話し合い、一緒に準備してくれる人が与えられたことは、本当に感謝です。

 今日の聖書からの学びは、「わたしたちは、神の喜びのために造られた」というテーマでした

神を喜ばせる行為は「礼拝」と呼ばれるというポイント。

日曜日の教会での礼拝式だけが礼拝ではないのです。むしろ日々の生き方すべてが礼拝。

ここの部分は、参加した皆さん、新たな発見という感じでしたね。わたし自身も今一度確認したという気がします。

そうなんですね。神さまに喜ばれるためにわたしたちがするすべての行為は、礼拝なのですね。

日々、そして今、イエスさまを意識し、イエスさまに喜ばれたいと生きるそのあり方そのものが、主への礼拝。

礼拝とは、日常とはかけ離れた、特別な領域の行為ではなくて、毎日のありきたりの生活を、すなわち寝ること、食べること、仕事に行くこと、その他の雑用に至るまですべての活動を、神の御前に捧げものとして差し出すことなのですね。

 このことに気がついたら、何をするにも、その意味と価値を見出して、感謝と喜びを感じることができますね。

これが捧げる喜びなのですね。そして、これがわかったら、共に集って捧げる主の日の礼拝がさらに深い喜びとなるのですね。