十字架による和解と平和へと

shuichifujii2011-07-05

 わたしたちの連盟の仲間である佐々木和之さんを支援する会からの会報が届きました。

 ルワンダでの和解と平和のお働きを覚えて、これからもお祈りいたします。

 会報から佐々木先生の報告の一部をご紹介します。

■「償いの家造り」新築祝いのご報告
前号の「続く和解への歩み」という記事で、虐殺の生存被害者であるサベリアナさんの家が完成に近づき、間もなくそのお祝いが行われる予定であることをお伝えしました。既にブログ等でお伝えしましたが、改めてその「新築祝い」のご報告をさせていただきます。

新築祝いがあった12月23日のルガンド村は快晴。空き地に立っている数本の木の幹にナイロンシートを括り付けて屋根にし、近隣の家庭から借りてきたベンチを並べただけの特設会場に、250名もの人々が集いました。

サベリアナさんが通うカトリック教会の司祭による新居祝福式とREACHのフィデル牧師のメッセージの後、タデヨさんが立ち上がり、サベリアナさんの方を向いて謝罪の言葉を語りました。

「サベリアナさん、私は今日、ジェノサイドの時に犯した罪を悔い、あなたに赦しを乞います。私は襲撃グループに加わり、あなたの家族を殺害し、あなた自身の体にも深い傷を負わせました。その時のことを私は忘れたことがありません」。

そう告白した後、タデヨさんは償いの思いを込めて家造りに取り組み、そのおかげでようやく彼女の前に「進み出る勇気を得ることができた」、と言いました。そして、スピーチの最後に、「私は、今後決してあなたの障害になることはありません。あなたが直面する問題を解決するために力を尽くしていくことを誓います」、と宣言したのでした。

被害者であるサベリアナさんに対し、また、自分の妻や子どもたちの面前で、自分が殺人者であることを認めるのにはどれだけの勇気がいったことでしょう。
以前、サベリアナさんが彼の謝罪を待っていると私が彼に伝えたとき、「家が完成し、彼女が入居する日にきちんと謝罪したいと思っている。言葉だけでは軽すぎるから」、と言っていたタデヨさん。

犯行時から17年を経て、ようやく真摯な謝罪を成し遂げたのです。その後、サベリアナさんが立ち上がりました。彼女は会衆の方を向き、良く通る声で堂々と語りはじめました。

彼女はまず、大虐殺を「神の力ゆえに」生き残って以来、どれだけ加害者からの謝罪の言葉を待ち続けていたかについて話しました。そして、タデヨさんの方を向いてこのように語りかけたのでした。

「タデヨさん、あなたの告白により心が安らぎました。あなたも心安らかに歩んでください。どうか重荷を下ろしてください。これからは、隣人として関わり合っていきましょう。....私はあなたの前に立っていますが、どうか怖がらないでください。私、サベリアナ・ムカガタレは、あなたを赦します」。

彼女が「あなたを赦します」と言い終えると同時に、会衆から大きな拍手が巻き起こりました。そして、沢山の人たちが前に進み出て、2人に祝福の言葉をかけました。私もその人々の列に加わり、「おめでとう」と声をかけ、抱擁を交わしました。

スピーチをしていたときのサベリアナさんはとても堂々としていて、彼女の言葉はタデヨさんへの思いやりに満ちていました。彼女は、自分を苦しみのどん底に突き落とした張本人であるタデヨさんのことを思いやれるまでに憎しみを克服し、癒されたのです。


彼女が選び取った赦しと和解の道は、これからもきっと険しいものであり続けることでしょう。それはまさに「十字架の道」、と言えるかもしれません。集団的暴力であるジェノサイドの生存被害者である彼女には、加害者はタデヨさん1人だけではなく、まだ謝罪していない加害者が多数いるのですから。しかし私は、彼女がタデヨさんから「償いの家」と謝罪を受け取り、彼への赦しを会衆の前で宣言したことが、彼女の人生にとって決定的な意味を持つ出来事であったと思います。そのことによって、彼女はかつて奪われた尊厳を回復したのです。もう誰にもその尊厳を奪うことはできないのです。そして、その彼女が歩み始めた「十字架の道」を、平和と和解の主であるイエス・キリスト(聖書エフェソの信徒への手紙2章14〜18節)が、これからも共に歩んでくださると、私は信じています。

タデヨさんとサベリアナさんのスピーチは、取材に来ていたFMラジオ局の番組で当日から数週間繰り返し放送されました。驚くべき赦しと和解のメッセージを多くのルワンダの人々と分かち合うことができたことをとても嬉しく思います。

http://rwanda-wakai.net/

エフェソ2章14節〜
「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、
規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、
十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。