つながっているから

 今日は午前中、こども英語教室の振替授業。今日の子供たちは、母子家庭の子でお母さんは働いているので不在。春休みということもあり、英語教室の後は、そのまま学童保育に行くことになっていたのだが、子供たちが嫌がったので、一緒にお昼を食べて、午後から、うちの子供たちと一緒に近くに出かけて、思い存分一緒に遊ぶ。

 こどもたちとお昼を一緒に食べる前には、石巻などで、小学校が津波にのまれ、子供たちがたくさんなくなったことも話し、今、生かされていることを神様に感謝し、被災者の方や原発のことを覚えて、一緒にお祈りする。

 いま、命のことをこどもたちに語る機会と思う。同時に、子供たちがストレスを抱え込まないように、楽しく過ごすことや前向きに生きることを大切にしたいと思う。

 自分自身、さまざまな情報に触れる中で、知らず知らずのうちに、イライラしていることに、自分の態度や言動から、気がつかされる。

 そういえば、長い間流浪の民であったユダヤ人は厳しい迫害の中でも、自分たちを笑うユーモアーをもっていたとどこかで聞いた。そこに彼らの強さがあるのかもしれない。

 空いた時間、あちらこちらに電話をかけ、連合のメーリングリストのための情報収集をした。ひとまず情報があつまったので、早急に立ち上げていきたい。

 電話をかけて、皆さんの声を聞くなかで、つながることの喜びを感じた。わたしたちは、一人ではないのです。主がともにいて、私たちをつなげてくださっている。

だから、大丈夫。

感謝します。


ヨハネによる福音書15章4節〜
「 わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。

わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。」