今日の礼拝と駅へダッシュ

shuichifujii2011-03-20

 20日の礼拝はIGさんHさん、そして仙台からのTさんご家族とわたしたち家族。

 今、どこもガソリンがなくて、少しでも節約したいと思うところですが、IGさんもHさんも遠くから車で礼拝に来てくださいました。まだ、私たちの教会のメンバーではないのに、このような状況の中でも、主を礼拝することを選ばれる。礼拝は、自分がなにか得ようとする営みではなく、自分自身を主に捧げさせていただく喜び。なくなることのない天に宝を積む喜びであることを改めて思わされます。

 被災地にある方々の慰めと平安、そして必要が満たされるように。そして原発事故の収束と、そのために働いておられる方々のために。そして、お互いのために、そして、このような時だからこそ、主のもとに駆け込み、主に祈る人々が、起こされることを、心から祈ります。


 さて午後宣教師のTさんご家族は、午後の特急「いなほ」で次の場所に行かれました。

 その際、すこしアクシデントが。

 電車の発車時刻を勘違いしていて、発車時間に気がついたのは、発車10数分前。

 教会から駅までは、いつも10分ちょっと見なければなりません。信号もいくつもある。これはどうにも間に合わないと正直思いました。

 でも、そこですぐにあきらめないで、とにかく私の車にTさんご家族を乗せて出発。

 もう一台の車には、妻と60を過ぎた妻の母と子供たち。

 駅までの車を運転する時間、信号待ちをするたびに、あと5分。あと3分。ああもうだめかな、と心の中では半分思いました。でも途中であきらめないでとにかく駅まで行きました。

 ところが、私たちの後ろを走っていたはずの妻の車が、機転を利かせて別のルートで行ったところ、信号機が少ない分、私の車より早く駅に着いたのです。でも、最後の駅前の信号でストップしたことろ、足のすこし悪い妻の母が、「わたしが駅に行ってくる」と車からおりて駅の改札に走り、発車をすこし待ってもらうようにと言ったのでした。見事な連係プレーでした。

 おかげで、なんとかTさんご家族は、電車に乗ることができたのでした。


 もし、最初からあきらめたら、と思います。

 問題を前にして、最初からあきらめない。

 とにかく一歩でも前に進む。

 主がともにいてくださるのですから。

 それを昨日の一件でも改めて学んだ気がします。


ローマの信徒への手紙4章18節
「彼は希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じ、」