第31回聖書を読む会

 6月12日の今日は、31回目の「聖書を読む会」
いつも、母教会の山形教会から応援に来てくださいますが、今日も三名の方が2時間かけてきてくださいました。

 集会は午後1時半からなのでまずは、お昼をご一緒して楽しく歓談しているところに、TRさんが、御親戚の畑で採れた大根と玉ねぎをもってきてくださいました。後で、大根おろしにして食べましたが、おいしかったです。

 集会は酒田からはTRさん、Mさん、Hさん、Sさん。チラシを見てこられる方はおられませんでしたが、いつも足を運んでくださる方がいてくださることは、本当に嬉しいことです。

 クリスチャンでプログルファーの中島常幸さんと奥さまのインタビューのビデオをみて、聖書のみ言葉をいくつか分かち合いました。

 新約聖書のフィリピの手紙のなかの、パウロの言葉から


「兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。」(3章13節以下)


 「神がおあたえになる賞」とはなんでしょうね?という問いかけに、Mさんは「広い心じゃないかな」というお答え。それはきっと「人格の完成」とか、聖書が言うところの「キリストに似るものとされる」ということを意味しているのかな、と思いました。様々な試練があることもすべて、「人格の完成」を目指した旅路。そういう意味で確かに「自分はすでに捕えた」と言える人はいないでしょうね。


 いつにもまして、今回は深い話ができたように思います。感謝いたします。