忘年会、覚恵会?

 この時期になるとどこでも多くなってくるのが「忘年会」。
 年の最後にその一年の出来事を忘れる会をする。それは、今年一年のいやな出来事を忘れ、新たな気持ちで新しい年に向かっていきたいということでしょうね。ただ、いやなことは忘れてしまえばいい、という発想には、すこしさびしさを感じなくもありません。


 さて、聖書の中に使徒パウロという伝道者のこんな言葉があります。
 「 わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。神の恵みによって今日のわたしがあるのです。」(1コリント15:9以下)


 彼はこのとき、教会のリーダー、指導者の立場でした。しかし、かつて彼は教会を迫害していた人物だったのです。できたら、そんな過去など忘れてしまいたいし、昔を知っている人には、忘れてほしいことでしょう。しかし、彼は自分の失敗や弱さ、罪を忘れないし、それをあえて語り続けるのです。それは、今日の自分があるのは、自分の力ではなく、すべて神の恵みであることを証するためなのです。


 さて、今年一年を振り返って、失敗したこと、つらかったことを忘れるのではなく、かえって思い出しませんか。そして、そこにこそ注がれていた、神さまの恵みを覚えませんか。わたしたちは、忘年会ではなくて、覚恵会(かくえかい?)をもって、感謝と共に、今年一年を締めくくりたいのです。

12月27日週報巻頭言より