教会で変えられた証

 今日の夜は、市内の教会の合同のお祈り会。酒田キリスト教会にて。
お二人の方の、クリスチャンになったときの証などもあり、感動でした。
その中のお一人のIさんは、鬱で病院に通い、薬を飲んでいたのですが、薬をやめたいと願い、いろいろあって、教会に来るようになって、やがてイエス様を信じて救われ、変えられていった証を伺いました。笑顔で証をなさるその方の姿を見て、人を変えてくださる神さまの力を、目の当たりにした気がします。


 オバマさんは盛んにチェンジというけれど、人が変えられていく、社会が変えられていく力は、それ自身の中にはなく、上から来るんだよね。


 あとでそのIさんとお話したときに、実は、わたしのブログをみてくださっているということを知って、ちょっとびっくり。なんでも東京のクリスチャンのご友人が、紹介してくださったのだそうです。といっても、その方をわたしは存じ上げないのです。私のあずかり知らないところで、いろいろ広がっているのですねぇ。


 心の弱さを覚える方にとって、いきなり教会にいくというのは、難しいことでしょう。人と顔と顔を合わせるということは、きついこと。その方も、教会に来たときは、闇のなかから光のなかにきたようだったけれども、正直怖かった。闇のなかにいると、かえって光が怖く感じるものです、というようなことをいっておられましたが、そうなのだろうなぁと思います。


 こういうブログのようなものは、そういう意味では、直接顔を合わせなくても、教会に行かなくても、その周辺でうろうろできるツールなんでしょうね。でも、どこかで勇気をだして、Iさんのように、一歩踏み出さないとね。顔と顔を合わせる交わりの中でしか伝わらない神の恵み、祝福、自分が変えられていく力があるのですからね。



「あなたがたにぜひ会いたいのは、“霊”の賜物をいくらかでも分け与えて、力になりたいからです。あなたがたのところで、あなたがたとわたしが互いに持っている信仰によって、励まし合いたいのです。」(新約聖書 ローマの信徒への手紙1章11節〜12節)