従順と敬虔

shuichifujii2008-01-09

 今日はお祈り会。今日は、妻と共に、聖書に基づいた子育ての本を読み、子どもたちのために祈る。


 小さな子をもつ親になると、「子どもに言うことを聞かせるには、どうすればいいのか」と悩むことがあるものです。


 しかし、子どもにとって、「従順」と「敬虔(神を認め、畏れる事)」のどちらがより重要でしょう。もちろんどちらも必要ですが、もし、どちらかを選ばなければならないとしたら、「従順で不敬虔な子ども」と、「敬虔な子ども」と、どちらかいいでしょう。


 親は、子どもに言うことを聞かせようと、強く言ってみたり、時には脅してみたり、いろいろやりがちですが、たとえ子どもがそれで従順に振舞ったとしても、それでいいのでしょうか。


 権威者の目が光っている前では従順になる、ということを教えているだけではないでしょうか。


 ある小学校の先生が気がついたのは、ごくたまに教室に訪れた人(例えば両親)の前では、どの子も、見事に従順な態度を演じますが、子どもたちがまったく予期せぬときに教室にもどってみれば、ある子は決まりを守り、ある子は決まりを破るというように、分かれるということです。


 親や先生の目を恐れるゆえの従順ではいけません。

 目に見えない、神を畏れ敬う心から、本当の従順も生まれるのではないでしょうか。


 ですから、親が本当に問わなければならないのは、「子どもに言うことを聞かせるには、どうすればいいのか」ということではなくて、「どうしたら、敬虔な子に育つことができるのか」ということだと思うのです。


「主を畏れることは知恵の初め/聖なる方を知ることは分別の初め」(旧約聖書 箴言9章10節)