去年の今頃のことを思い起こして

 今日は一日雨。13時間分の議事録もあと3時間分を残すのみとなった。それにしても、今年は例年より暖かいのかもしれない。少なくとも去年のように沢山雪が降りつもる気配はなく、せいぜい降ってもみぞれくらい。クリスマスまでは、このくらいであってほしい。


 思えば、去年の今頃は、前任の民家先生の癌が発見され検査入院された時期。先生は、週末は病院から外出し、伝道所での礼拝を守りつづけておられる。

 去年の12月の記録を見ると、12月4日の説教題は「感謝し喜びなさい」12月11日が「キリスト者の喜び」12月18日が「根気よく祈り続けなさい」12月25日が「救い主イエスの誕生」であった。

 御言葉に生かされ、また生き抜かれた、民家先生のお姿を想う。12月28日に手術。入院中の1月は連合の教会の方が来られて、主日礼拝を守ると伺い、当時東京にいた私も、何かご奉仕をと申し出て、2月5日の主日礼拝の説教をさせて頂くことになり、家族で酒田に来たのだった。


 当日は大雪で山形新幹線は不通。新潟経由のキップに切り替えて、酒田についたときには、雪の中、民家先生が駅にまで迎えに来てくださった。先生に迷惑をかけたくないとビジネスホテルを予約していたが、「それじゃあ、ゆっくり話せないじゃないか」と、ホテルをキャンセル。結局、退院したばかりの先生にすっかりお世話になってしまった。


 実は、民家先生は、私たちが酒田にくる直前まで、娘さんのいる神戸の病院で検査を受けておられたのに、私たちが酒田にくるということで、急いで酒田に帰ってこられたのだ。そのことをわたしたちは知らないまま酒田に来た。しかも、神戸から酒田に帰ってくる途中で、大雪のために、電車がとまり、乗り換えたバスが立ち往生し、何時間もバスの中に閉じこめられて、やっと深夜に酒田に着いたのだという。まったくもって、わたしたちが善意のつもりで、「酒田にいきます」などと言い出したおかげで、退院したばかりの民家先生に本当に無理をさせてしまったことを知った。こんな事なら、わたしたちの身勝手な申し出など「今はこういう事情なので、もう少し落ち着いたら来てください」と断ってくださったらよかったのにと、申し訳なさで一杯になった。


 しかし、民家先生も直子ご婦人も、酒田についた私たちのことを、本当に喜んで歓迎してくださった。そして、その夜、食事をご一緒しながら、民家先生が来週から、神戸の病院に入院することになり、酒田を後にすること、そして2月一杯で、直子さんも神戸に引っ越すことを知り、離れゆく酒田への熱い思いをお二人から伺った。顔と顔をあわせて語り合ったその時は、この上もなく貴重な時となった。その夜、妻と祈りながら、わたしたちは酒田にくるべきではなかと、そのような思いが与えられたからである。今考えれば、何というタイミングであろうか。もし、気を使って、「もっと落ち着いてから」と、酒田にいく日を遅らせていたなら、酒田で民家先生とお会いすることは出来なかったのだ。そうなれば、私たちが酒田にくる決断に導かれることもありえなかった。神の摂理とはまことに人知を越えているのである。


 そのように、神の大いなる摂理のなかに日々、生かされ、導かれているのならば、目先の出来事にとらわれ一喜一憂することはない。去年の今頃、だれが、今の酒田伝道所の状況を予想し得たであろう。これは、自分を含め、世界に誰一人として予想しえなかった出来事なのだ。そのような神の摂理のなかに生かされているのならば、今から、来年の事をあれこれ考え、思い煩うこともまた、ナンセンスなことといわなければならない。「明日のことは明日が思い煩」えばいいのだから。


 ゆえに、ただ、主に生かされ愛され、導かれている人生を喜び、感謝していきたい。去年12月の民家先生の説教のとおりに。


 主に栄光あれ