キリストか仏壇か

 午前中は酒田キリスト教会のカウンセリングクラスに妻と出席。今日、私の隣りに座った方は、教会に来るようになってから3年目のご婦人。まだ洗礼の決心はなさっていないけれども、もう決心も近いかな、という気がした。まだ、仏壇の事が引っかかっているようだった。しかし、「キリスト」か「仏壇」かという対立軸はあるのだろうか。お墓の問題もそうだけれども、「キリスト」か「お墓」かと問うのは、あまりにレベルの違うものを対立させてしまっている。「キリスト」か「○○か」と問うのはナンセンスでしょう。「仏壇が」「お墓が」と、そちらに目を向けるのではなく、キリストご自身を深く知るように導いていくなら、その他の問題も、自然に解決の道が与えられるように思います。