祈りによって

 就任式が終わり、霊的な感動をうちに頂いています。メッセージや祝辞や挨拶。語られる言葉が不思議なほど、「祈ること、祈られること」への熱い思いに集中しました。「伝道方策」より前に、「祈り」そのものに対する熱き思いと期待が「本気」で語られている場に、御霊のお働きを深く感じます。
 今回、就任式の前の日に連合の牧師会があって、実は、あいた時間があったら先生方に「もし先生がわたしの立場だったら、どのような伝道をしますか?」と伝道のアイデアを聞こうと思っていたのです。しかし、すっかり忘れてしまって、聞くことをしないまま、牧師会は終わり、就任式となりました。そして今、就任式が終わってあらためて、「ああ、へんなこと聞かなくて良かった」と思っています。主がわたしを選ばれ、この働きに立てたのだから、他の人が、わたしの立場になって考えたもので出来るわけがない。愚問でした。

 それでもいくつか伝道ためのアイデアをある先生から頂いて、感謝でした。そうはいっても、結局「伝道方策」が人を救うわけではなく、御言葉と祈り。そのことを「本気」で信じて祈り、祈られる関係。その祈りの渦が巻き起こるなら、きっと素晴らしい主の出来事が引き起こされると信じます。そのことを「本気」で期待して、祈り求めます。