愛を叫んでいるというのに

 ある学者によると、「冬ソナ」とか「世界の中心で愛を叫ぶ」などの純愛ドラマがはやるのは、戦争や失業などの社会的不安が高い時だそうです。確かに前回の純愛ブームは、1991年頃の湾岸戦争のころで、大ヒットドラマは『101回目のプロポーズ』や『東京ラブストーリー』でした。
 さて、社会不安と「純愛」がリンクしているかはともかく、感じるのは、人は変らない愛、エゴイズムではない愛を求めざるをえない存在なのに、自分を含めて人間の中にその愛がないというむなしさが、フィクションの愛に走らせているということです。
 フィクションに走るくらいなら、なぜ神のところに来ないのかとも思います。神には本当の愛がある、そしてその愛は本物だと「世界中のクリスチャンが愛を叫んでいる」というのに。

ヨハネ4:7-10
4:7 愛する者たちよ。わたしたちは互に愛し合おうではないか。愛は、神から出たものなのである。すべて愛する者は、神から生れた者であって、神を知っている。
4:8 愛さない者は、神を知らない。神は愛である。
4:9 神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである。
4:10 わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。