また権威の話

 今日の金曜祈祷会はマルコ11章の27節以下から、イエス様の権威の話。
 当時の宗教指導者たちの権威権益を脅かす、イエス様に対して、「あなた、なんの権威があってそんなことすんの」「あなた何様」と、自分の領域に入りこむイエス様を追い出そうとする権力者たちとのやり取り。

 それにしても、そんなにこだわっている権威権益は、いったいどうやって手に入れたの。親のコネ?、自分の努力?、仕事上の立場、世論の支持?・・

 この世界が偶然に出来上がったというなら、そんなものが権威の基盤になっても仕方ないけれど、この世界が神によって造られたのなら、本当の権威者は神以外にはありえないわけで、神に分け与えられている自分のちっぽけな権威・・親父の権威でも社長の権威でも、学問の権威でも、総理大臣の権威でもなんでもいいけど、そんなちっぽけな権威を神の権威を忘れて絶対化すると、ろくなことが無い。親の権威だ!といって、子どもをどうにでもできると勘違いする親もいるし、学問の権威は絶対だと、平気で聖書を切り刻む愚かな人もいるし。この国をあらぬほうに導こうとする政府や、総理大臣の権威もしかり・・・。
 神の権威を無視して、ちっぽけな自分の権威を振り回されると、自分も回りも不幸になるんだよね。