今日の黙想
イザヤ26章(洋光台教会の為に祈る日)
「どこまでも主に信頼せよ、主こそはとこしえの岩」4節
この26章は、読んでいるだけで、心の奥底が満たされ元気になってくるのは、不思議だ
変な言い方だが、「主に信頼してもいいのだ」という安ど感のようなものを感じる。
よく聞かされるのは、こんな状況で、神様なんて信じられない、とか、神を信頼などできない、という言葉だけれど、
なんだかそれは、「見えないものがみえるのだ」と、不自然に自分で信じこもうとしている、「頑張りの信心」に、疲れている言葉のようにも思う。
そうじゃなくて、この不条理と無常にみえる現実の世にあって、
自分にはすべてわからなくても、いや、わからないからこそ、
「どこまでも主に信頼せよ、主こそはとこしえの岩」
と語りかけてくる言葉が、身にしみてありがたく、心の荷が軽くなり楽になる。
「主に信頼していいんですね。ああよかった」と、ふっと心が軽くなる。
信仰をいただいているって、実にありがたいことだ。