「放蕩息子の譬えには、二人の息子が出て来ます。
弟は家から逃げて遠い外国に行きますが、兄は家に留まり、するべき自分の仕事を続けます。
弟は酒と女で身をもちくずし、兄は、一生懸命働き、仕事をすべて忠実に成し遂げることで、自分を疎外しています。
二人とも失われたものでした。
父親は、二人のことを惜しみます。二人のうちのどちらとも、望むような親しみの温もりを味わうことがないらかです。
欲望に身をもちくずすにしろ、冷たく言われたとおりのことをするにしろ、
それでは私たちは真の神の子となることはできません。
弟のようであれ、兄のようであれ、
私たちは神の無条件の愛に包まれて、心が安らぐことのできる家に
かえらなければなりません」(ヘンリ・ナウエン)
28日の礼拝でも、神学生の方を通して聞こえてきた神さまからのメッセージ
教会は、弟だけの集まりでも、兄だけの集まりでもなく、
お互い反目しあっていたであろう弟と兄が、
ともに天の親の無条件の愛の家で安らぐ現場なんです