主の復讐

今日、読んだ聖書
列王記下 9章
イエフの謀反

 こういう形で主の復讐が行われることがあるんですねぇ。
復讐というと否定的な感じがしますけれども、言い方を代えれば神様はあくまでも正義を貫かれる、正しく裁かれる、ということでしょう。
でも、旧約は、その裁きの起こる時間的スパンが短くて、しかもはっきり何のゆえの主の裁きなのかと預言者が告げてくれたりするので、そんな旧約の神様はこわーい、新約の神様は優しくて裁かなくていいわ、なんて思う人もいるかもしれませんねぇ。
 旧約も新約も同じ神様なんですけどね。新約はただ、神の裁きなり復讐なりの下る時が、終末のときまで先延ばしになっているだけでしょう。神の裁きなり復讐があるから、自分で復讐しないで忍耐しなさいとパウロは言うわけですし、神の裁きがあると信じているから、私の代わりに裁かれてくださったキリストの十字架にクリスチャンはすがっているわけですし。

ローマ12:19
愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。

ヘブル10:30
「復讐はわたしのすること、/わたしが報復する」と言い、また、/「主はその民を裁かれる」と言われた方を、わたしたちは知っています。