水曜日は昼と夜のお祈り会。
今日の夜のお祈り会は、主イエスのことを3度「知らない」と言ってしまうペトロを、主イエスが見つめられたという記事。今度の日曜日の礼拝でメッセージする箇所。
4つの福音書に、主イエスを否認するペトロの出来事が登場するが、そのペトロの見つめる主イエスの姿は、ルカの福音書だけが記している。大変印象的な場面。
英語では、「見る」という言葉は、LOOKやWatchだけれども、
日本語で「みる」というと、「診る」、「看る」など、careという概念もある。
「見る」ことをしなくなると、「見放す」「見捨てる」となる。
見ること、見られることは、人にとって大切なことなのだ。
日本語はそのことを、様々に表現しているのだな。