今日の聖書日課は、歴代誌下13章
イスラエル王国が、ソロモン王のあと、北イスラエルと南ユダに分裂して対峙するようになったのだけれども、
自分たちで勝手に祭壇をつくって、自分たちで勝手に祭司をたてて、礼拝している北イスラエルが、神の民の正当な流れじゃなくて、
昔からのエルサレム神殿で、昔からの祭司アロンの系統の祭司、レビ人によって、礼拝をしている南ユダなんだよって、歴代誌はそう伝えている。
だから北イスラエルと南ユダが戦うこの13章で、南ユダの王アビヤは、北イスラエルの王ヤロブアムに、こういうんです。
「イスラエルの人々よ、勝ち目はないのだから、あなたたちの先祖の神、主と戦ってはならない」12節
そう、確かに、自分たちで勝手に祭壇をつくり、勝手に祭司を立てて、勝手な礼拝をしていて、それで、自分たちにこそ神は共におられる、ということには、ならないのだけど、
一方で、
『自分たち「エルサレム」「アロンの系統」こそが、「正当」なんだよ、おれたちのほうに、神さまはついているんだよ』
っていう、ユダの特権意識も、それはそれでいいのかな?と思う。
それから数百年後の新約聖書の時代に、ユダヤ人とサマリア人(北イスラエルの流れ)が反目していた理由にも、どこか繋がっていくんじゃないかな。
「自分たちは正当で、あいつらは邪道」
「自分たちは清くて、あいつらは汚れている」
イエスさまは、そんな、「自分たちこそ正当」という特権意識で、互いを分裂、対立させていく、そういう隔ての中垣を、十字架によって打ち砕いてくださったんだ、というのが、和解の福音なんだよね
だから今は、どんな場所でも、だれであろうと、神の恵みによって、礼拝させていただけるし、
そんなわたしにも、あなたにも、今、神は共におられるんだよね、って、
そういう福音の気づきが広がれば広がるほど、人と人の間にも平和が実現していく、
今は、そんな新約聖書の時代。
ああ、今の時代に生まれさせていただいて、本当に感謝です。
4:21 イエスは言われた。「婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。
4:22 あなたがたは知らないものを礼拝しているが、わたしたちは知っているものを礼拝している。救いはユダヤ人から来るからだ。
4:23 しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。