先日「反省させると犯罪者になります」(岡本茂樹 著)という本を読みました。著者は犯罪を犯した人の更生の現場に仕えている方で、とても説得力のある内容でした。
「悪いことをする」→「すみませんと言わせて反省させる」→「終了」というパターン。これを繰り返していくと、やがて重大な犯罪を犯す可能性があると岡本さんはいいます。なぜなら、そのパターンで最後に犯罪を起こした人の「代表者」が、刑務所に収容されている受刑者だからです。
「なにをしたか」と責めて「反省」をさせても、「なぜそれをしたのか」と、その人の心の声に耳を傾けなければ過ちは繰り返されるのです。
わたしたちはつい正論を言いがちです。しかし人は正論を言われると本当の心の思いを語れなくなります。
正しいことを言われれば、人は何も言い返せず、心を閉ざすしかないからです。そして悪い行動を引き起こした、本当の原因である怒りや怨念は抑圧され、またいつか爆発します。
そもそも、100%正しい人などこの世にいません。だれもがダメな部分を持っています。そんなダメな部分を責めることなく、そんなあなたを生み、そんなあなたを愛し、そんなあなたのために、イエスが十字架の上に命を捨てた、と聖書は「神の愛」を宣言します。このダメな子ほどかわいいという、天の親なる神の愛が、人を「救う」のです。
よく「悔い改め」を「反省」のことだと誤解する人がいますが、全く違います。悪いことをしたからごめんなさい、と「反省」したところで、人は救われません。「なぜそれをしてしまったのか」その人の心の叫びをすべて知り、その悲しみを抱えたあなたを愛し、すでに赦している天の親の愛に向きなおる。それが「悔い改め」です。
いつも、こんな自分じゃだめだと「反省」し、こんな自分は愛されていないと、悲しみや怒りを心にためこんでいませんか。
その怒りを人に向け、その悲しみを自分に向けては失敗し、「反省」してはまた、おなじ失敗を繰り返していませんか。もう、愛される資格などないと、思い込んでいませんか。
そんなあなたを、神は愛している。この神の愛に目覚めるとき、人は「救われる」のです。