愛は、言葉にしないとね

 午後は、久しぶりに東京のI君から電話。ちょっと調子が悪くなると電話をくれるのですが、「最近電話が来ないなぁ。便りないのは元気の印だよな」と思っていたところなので、不思議なものです。

 まあ、いろいろ人生、問題はつきもの。でもすべての問題は、次のステップへのプロセスなんだよね。


 フェイスブックでよい言葉を見つけたので、ここに引用しておきましょう。
今日のお母さんカフェでも、最初ちょっと話題になったけれども、言葉になっていないことを「言葉化する」ことって、いろいろな局面で大事になってくるんだよね。

「目は口ほどにモノを言う」と言われていますが「情のこもった目つきは、口で話すのと同じくらい気持ちを表現する」という意味だと、辞書には書いてあります。

果たして、本当にそうなのでしょうか?

あなたが毎日、3年間通い続けているラーメン屋さんで、毎回、味噌ラーメンを注文していたとします。
お店の大将は、あなたの目を見ただけで「今日も味噌ラーメンだな」とわかるほど、あなたと大将の間には「以心伝心」が成り立っている関係。

でも、ある日、あなたが大将の目をじっと見ながら、心の中で味噌ラーメンをイメージしながら「今日は塩ラーメンで」と注文すると、出てくるのはもちろん塩ラーメンであって、味噌ラーメンではありません。
目で訴える思いよりも、口に出す言葉のほうが、ずっと伝わる力は強いのです。

それについて検証した興味深いデータがあります。
「愛している」「楽しい」「怒っている」「悲しい」という、それぞれの感情を、言葉を一切使わずに目だけで表現してもらうという実験。
それらの感情が実際にどれだけ相手に伝わったかを調べたものです。

その結果、最も伝わったのは「怒っている」という感情だったのに対して、圧倒的に伝わらなかったのが「愛している」という感情。
「怒っている」の伝達率80%程度に対して、後者はなんと1%程度しか伝わらなかったのです。

人間にとって1番伝えなければならない「愛」が、実は1番伝わりにくいものなのだということを、この結果は教えてくれています。

怒りの感情は、言葉にしなくても、目つきだけで伝わるのですから、むしろ言わないでいい。
でも、愛情はあえて言葉にして伝える必要があるのです。

「愛」に限っては「目は口ほどにモノを言わない」
それが正解。
「私の気持ちは、言わなくても伝わっているはず」と思っていても、実際には伝わっていないことのほうが多く、その勘違いのせいで様々なズレが生じます。
「目ヂカラ」を過信することなく、思いを言葉にして伝えましょう。


「一分で感動」吉永 圭佑 facebook より


旧約聖書イザヤ書43章4節

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」