今日は午前中、美香の授業参観。夕方には、Tさんご家族が「お赤飯をつくったので」とわざわざ持ってきてくださいました。ありがとうございます。
夜、美香が「パパこれみて」と封筒を手渡すので、中を見てみると、紙に包まれた500円玉とともに「きょうかいのためにつかってください」と書いた紙が。
私はちょっとびっくりしながら、「ありがとう。明日の礼拝のなかで献金しようね」といって受け取りました。
妻に聞いてみると、今日、美香と一緒に、買い物にいったのだそうです。その時、おしゃぶりにつける紐が売っていました。よく、勇希のおしゃぶりが、どっかにいってしまうものですから、妻が、その紐を買おうと手に取ったら、500円もするじゃないですか。「この紐に500円は高いわ。買うのやめよう」といったら、美香が、「私のお年玉があるじゃない。それで買ってあげて」というのです。それを聞いた妻が「いいのよ、ママが買ってあげるから」とその紐を買って帰ってきたのだそうです。
そして、ママと一緒に家に帰ってきた美香は、勇希のためにと使おうと思った、お年玉の残りの500円を、紙に包んで、手紙を添えて、パパのところに持ってきた、ということだったようです。
うーん。感動した。ほんとに。
やもめの献金の聖書の箇所を思い出したよ。
「イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。
ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。
イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。
皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」(新約聖書 マルコによる福音書12章41節〜44節)