神にしかわからないのだから

 以前、親しくしていた若い方が突然亡くなり、神も仏もあるものかと、わたしにいわれた方がおられました。そのようにいいたくなる気持ちを理解しつつ、わたしはこう思ったのです。



 「若くしてなくなったのは残念だ」というのは一つの価値判断です。なぜなら、もっと長生きしたら、あれもできた、これもできたと、なのにそれができなかったから「残念な人生だ」という価値判断を知らず知らずにしています。その自分の価値判断に沿わないことが起こると、神はいない、信じられないと結論付けます。


 ところが神がいないなら、すべては偶然ということになります。そうなれば、人が若くして死のうが、年老いて死のうが、自然死であろうが、殺されようが、事故死であろうが、全ては偶然です。偶然に意味はありません。長く生きようが短く生きようが、良い悪いという価値判断を持ち込むことはできません。


 ある人の人生に明確な価値判断をしつつ、同時に神はいないというのは、言葉の矛盾です


 ある人の人生の最終的な価値判断を、だれもできないし、してはいけません。その人の人生の意味と価値を知るのは、その人を造られた神のみ。ゆえに、わたしはなお、自分ではわからないからこそ、神の真実を信じ、神の真実にゆだねるのが人間のわきまえだと思うのです。