本当の癒し

ある宗教学者が、「癒し」ブームに対し、「癒し」は「イヤシィ(卑しい)」ニュアンスがあると指摘したそうです。癒しといいながら、その中身が単なる人間的願望充足であったりすることへの批判でしょう。


 過去や現在の傷や悩みや悲しみは、ただ癒されさえすれば解決なのでしょうか? 癒されれば、過去の自分とは違う自分になって幸せになるのでしょうか? そもそも、人間はそんなに簡単に癒されるものなのでしょうか? もしかしたら、安易な癒しを求めることは、神が与えた自分の人生に正面から向き合うことから逃避することになりはしないでしょうか?


藤木正三・工藤信夫共著「福音はとどいていますか」P121
にこんな文章があります。

『これが私の人生』
「才能、境遇、出会い、運その他を、有無を言わさずに負わされて、私達は生きています。努力の大切さは言うまでもありませんが、人生にはどう仕様もない面が始めからあるのです。責任を負わねばならない部分はもちろんありますが、負いようのない部分が決定的に大きいのが人生です。人生にあまり深刻に責任を感じないこと、それは、負う必要のない責任まで追い込もうとする傲慢ですから。とにかく生き抜くこと、そして「これが私の人生」、と肯定すること、それが人生への謙虚です。自分の人生を否定的に見るのは自惚れでしょう。」


 安易な癒しを求めるのではなく、「これが神がくださった、私の一度きりの人生」と神への信仰をもって、自分の人生を肯定するところから、本当の癒しは始まっていきます。