これは、主の業

shuichifujii2006-11-23

 今日は、連合の臨時総会に参加して、またあらためて多くの方々が酒田のことを覚えていてくださること、また、具体的な支援について考えていてくださるお気持ちをひしひしと感じました。それぞれの教会にも重荷や課題があるにもかかわらず、そこまで酒田のことを思ってくださることに、感謝しつつも、「酒田だけではなく、他の教会・伝道所も大変なのですから」と、もったいなさやら申し訳なさ、そしてプレッシャーさえ感じて、心が重くなってしまったことを、正直に告白しなければなりません。しかし、帰りの車の中で、妻といろいろと話しながら、少し思い直しました。それは、多くの人々が、酒田のことを思う気持ちが、ただの人情であるならば、その人の期待に応えなければならなくなり、プレッシャーでしょう。しかしそうではないはず。これはただの人情などではなく、主がそのような思いを与えておられるのでしょう。ならば、素直に、その主の恵みに感謝したらいい、と、とらえなおしました。そしてあらためて、プレッシャーを感じてしまった自分のなかには、神様の恵みと素直に受け止めきれない、自我、プライドがあるのだと、気が付きます。まだ、自分の力や、自分の信心深さによって、伝道するのだという、「我」がべったりと染みついているのだなと思います。神様にそんなプライドをくだいていただかなければならないと思いました。酒田開拓は、「わたし」とか、「私たち」が頑張ることではなく、主体は主。これは主の働き。その視点にもう一度立とうと思います。