教会は語るべきか──1933年全権委任法と教会の政治的責任

1933年3月、ドイツで一つの法律が可決されました。

その名は「全権委任法」。

この法律によって、アドルフ・ヒトラーとナチ党は、議会を通さずに法律を制定する権限──つまり合法的な独裁体制を手に入れたのです。

この出来事は、ドイツの民主主義が制度として終わった瞬間であると同時に、キリスト教会にとっても深い問いを突きつける出来事でした。なぜなら、その法律が可決される背景には、教会が沈黙し、あるいは協力したという事実があるからです。

カトリック教会と「信教の自由」との取引

この法律の可決にあたり、ナチ党は中道・保守政党の協力を必要としていました。その中には、カトリックを支持母体とする中央党(Zentrum)がありました。

中央党は、ヒトラー政権から宗教の自由、カトリック学校の保護、教会財産の尊重といった「保証」を受け取り、それを信じて最終的に賛成票を投じました。

教会は、「国家と対立するよりも、信徒の礼拝生活や教育を守ることが優先だ」と判断したのです。

その背景には、当時ヴァチカンとナチ政権の間で進行していた政教協約(ライヒスコンコルダート)の交渉もありました。教皇ピウス11世とドイツ政府との間で協定が結ばれ、教会は国家に干渉しない代わりに、一定の宗教活動の自由が保障されることになりました。

しかし結果として、教会のその譲歩は裏切られました。ナチスは約束を守らず、カトリック系の学校や青年団体は次々と解体され、聖職者は監視・逮捕の対象となっていったのです。

プロテスタント教会はなぜ沈黙したのか

一方、ドイツのプロテスタント教会(主にルター派と改革派)の多くも、ナチズムに対して厳しい対抗姿勢を示すことはできませんでした。

国家と教会の一体性を重んじる伝統の中で、ヒトラーが掲げる「民族の再生」や「家族の道徳」を歓迎する声も少なくありませんでした。特に「ドイツ的キリスト者(Deutsche Christen)」と呼ばれるグループは、ナチスイデオロギーを信仰と積極的に結びつけようとした危険な潮流を形成しました。

このような中で、沈黙を続けた大多数の教会指導者たちの態度は、結果としてナチス体制の強化に加担することになりました。

もちろん、沈黙を拒み、声を上げた者もいました。その中心にいたのが、ディートリヒ・ボンヘッファーでした。

「語らない教会は、教会ではない」

ボンヘッファーは、ヒトラー政権によるユダヤ人迫害や教会の国家従属に対して強く抵抗し、「告白教会(Bekennende Kirche」の活動を支え、最終的にはヒトラー暗殺計画に関与して命を落とします。

今日、彼の精神を象徴するものとして、次の言葉がよく引用されます。

「悪の前で沈黙すること自体が悪である。神は我らを無罪とはされないだろう。語らないことは語ること、行動しないことは行動することなのだ。」¹

この言葉は広く知られていますが、実際にはボンヘッファー本人の著作で直接確認されておらず、おそらく彼の思想を要約・象徴するために後代にまとめられた言葉だと考えられています。

それでも、彼の主著『服従(Nachfolge)』(英題: The Cost of Discipleship)や、告白教会が発表した「バルメン宣言」には、信仰と倫理的責任、そして真理の証しとしての行動を強く求める姿勢が一貫して表れています。

現代の私たちへの問いかけ

私たちは今、どのような時代に生きているでしょうか。

声を上げる人が排除され、少数者が見えにくくされ、偽りの「愛国」が語られる時代に、教会はどのような責任を果たしているでしょうか。

  • 不正義や差別に沈黙していないか。

  • 真理をねじ曲げる権力に迎合していないか。

  • 教会の組織や自由を守るために、本質的な使命を見失っていないか。

🌿 おわりに

1933年、ヒトラーの独裁を可能にした全権委任法。その可決に、カトリックプロテスタント双方の教会が無関係ではありませんでした。

国家権力が暴走を始めるとき、教会が沈黙し、あるいは従属するとき、真理の証しとしての声は失われます。

それでも、私たちは歴史から学ぶことができます。「間違えた教会の歴史」から、「正しく歩む教会の道」を見いだすことができるのです。

主イエスが語られた、

「あなたがたは地の塩、世の光である」(マタイによる福音書 5章13-14節)

という言葉を、私たちの時代にどのように生き直すか。

それは、今を生きる私たち一人ひとりの、祈りと選択にかかっています。