自由か安全か?

最近のニュースで気になっているのは、飲食店41店舗を経営するグローバルダイニングが、東京都の営業時間短縮命令は違法として、都を相手取り損害賠償を求めて提訴したことです。長谷川耕造社長と弁護団は提訴後に記者会見し、東京都がグローバルダイニングを2つの意味で「狙い打ち」したとして違法性を訴えました。

 1つは都内で2000店舗以上が営業時間短縮の要請に協力しなかったにもかかわらず、命令を出した店舗のほとんどがグローバルダイニングの店舗であったこと。もう1つは、グローバルダイニングが行政指導に応じない考えなどをネット上で発信したことを理由に、東京都が命令を出したことです。

 長谷川社長は「営業の自由と表現の自由、それに法の下の平等に違反している」と主張していました。

 

 わたしはこの「営業時間時短命令」問題の本質を、「自由」と「安全(感染防止)」の問題ととらえます。そして「なにが安全で、なにが安全でなのか」という「解釈」及び、「自由」を制限できる「力」を、行政が国民に対して行使し始める状態は、危ういと思います。

 

しかし、今は飲食業界に対する「命令」なので、わたしには直接関係がないと思っている人も多くおられるのかもしれません。

 

第二次世界大戦のドイツで、告白教会の指導者だったマルティン・ニーメラーはいいます。

 

ナチスコミュニスト共産主義者)を弾圧した時,私は不安に駆られたが,

自分はコミュニストではなかったので,何の行動も起こさなかった。

その次,ナチスはソーシャリスト(社会主義者労働組合員)を弾圧した。

私はさらに不安を感じたが,自分はソーシャリストではないので,何の抗議もしなかった。

それからナチスは学生,新聞人,ユダヤ人と,順次弾圧の輪を広げていき,

そのたびに私の不安は増大したが,それでも私は行動に出なかった。

ある日ついにナチスは教会を弾圧してきた。

そして私は牧師だった。

だから行動に立ち上がったが,その時は,すべてがあまりに遅過ぎた。

 

今こそ、歴史の教訓から学びたいと思います。

 

「この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。

だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません」ガラテヤ5:1