「サーバントリーダーシップ」

現代は、あの東芝が巨額損失問題のために東証二部に降格する、激動の時代。

変化の激しい今、企業でもリーダーシップのあり方が問われています。

もうどの会社も、ひとりのカリスマ的リーダーに、みんながいくという古いスタイルでは、この激動の時代を乗り越えていけないでしょう。

これからの時代のリーダーシップは、「サーバントリーダーシップ」です。

サーバントとは「召使い」という意味です。「サーバントリーダーシップ」とはつまり「人に仕えるリーダーのあり方」です。

企業に当てはめるなら、上司のために部下がいるのではなく、部下を支えるために上司が存在するというあり方です。

部下も上司も、一人一人が自分の領域において、自由に活き活きのびのびと、活躍するために、仕え合うリーダーシップです。

同じ目標、ビジョンに向かって、一人一人が自主的に、主体的に、能動的に活動できるように、リーダーは部下に仕えサポートする。それが「サーバントリーダーシップ」です。

全員がお互いに対して、この「サーバントリーダー」の意識を持つ組織は、みんなが主体的に活き活きと活動できるので、たとえトップがいなくても組織はびくともしません。


今までのカリスマトップをたてた中央集権型組織から、「サーバント(召使)リーダーシップ」による、権限分散型の組織へと、どの組織も変革していくでしょう。そうしなければ、変化に対応できず衰退してしまうからです。

さて実は、この「サーバント(召使)リーダーシップ」とは、最近の発明でも、流行でもなく、
まさに、弟子たちに対する「主イエスのリーダーシップ」そのものでした。

「あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、 いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。
人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」(マルコ10:43-45)


主イエスは十字架に向かうその道で、弟子たちの足を洗われました。「召使のリーダーシップ」とはまさに、やがて弟子たちが活き活きと生きていくようにと、その足を洗う主イエスの姿そのものだったのです。

この激動の時代にもとめられている、互いに仕え合う「サーバントリーダーシップ」の姿を、本家本元の教会から、お互いに仕え合う姿を通して、証していけますように。