フィリップヤンシー氏講演

shuichifujii2018-02-21


沢山の著書があるクリスチャンジャーナリストのフィリップヤンシーさんの講演が、
2月20日(火)お茶の水クリスチャンセンターチャペルで行われました。

私が記録した、講演のメモをシェアします。

来日記念講演会
「たましいの四季」
2018年2月20日
クリスチャンセンター 午後7時〜


85カ国行っているが、日本には4回目。
日本から学べることが沢山ある。
四季について話したいと思った。
始めて日本に来た時は3月の北海道にいった。冬のようだった。
5月、きっと桜が見られると思った。4月が満開の時期だった。
夏に京都に行った。毎日雨。
いつか桜の時期に来たい。

魂の四季についてお話します。

●「春について」
新しい命を芽吹かせる時期。
コロラドに住んでいる。庭に植物を育てていたが、動物に食べられてしまう。
わたしは、春には動物に新しい命を見ます。

私自身の魂の春を思い出します。
毒のある教会でした。律法主義的、人種差別的で悪意がありました。
反抗的な魂だった。みんなに言われた。いつか神様にお前は打ち砕かれると。
代わりに神様はわたしの心を溶かされた。


かつてわたしは、神様のことを宇宙的な警察官だと思っていた。
それは、神に対する誤ったイメージだとやがて気がついた。
私たちを愛する方。最善を願われる方。
神様は反逆者や法統者に対して優しい思いを抱いていることに気がついていった
ジャーナリストになってから、このような「魂の春」を迎えた人々ついて書くことを喜びとした。

かつて日本に来日したとき、お近づきになりたくない方、元やくざからクリスチャンになった方とであった。
外側は強く凶悪な様相を呈していたが、内面はテディーベアのように柔らかいことに気がついた。

またあるとき講演依頼を頂いた。
100人の売春婦が来る。そこでの講演だった。
人身売買の方の救出に関わっている方々のカンファレンスだった。
40カ国から、魂の春を経験している人たちがやってきた。

彼女たちから、さまざまな退廃、暴力、の話を聞いた。
わたしは彼女たちに聞いた。

「イエスさまが売春婦に何を話したかを聞いたことがありますか?」
エスは、遊女であったっり徴税人の方が先に神に国に入ると言われた。
なぜ、遊女なのだとおもう?

ブルガリアの女性が手を上げた。

「だれもが、誰かを見下そうとしている。
私たちは底辺の底辺。私たちの家族は私たちを恥ずかしいと思っている。私たちを追い出す。そんな底辺の底辺にいる時、助けを求めて叫ぶ。」

恵みについての深い洞察を得た。
神の恵みを得るのに、私たちになにもできることはないのだ。
しかし贈り物を受け取りには、手を開いていなければならない。
宗教的な人は、「わたしは大丈夫だ」となりやすい。ファイサイ派の人たちのように。
そして神の恵みというプレゼントは受け取られずに落ちてしまう。
しかし、底辺の底辺の人は受け取れる。

そして「魂の春」を経験している人を、私たちは必要としている。
春は新しい命のとき。


●「夏について」
夏は成長、喜びのとき。
妻は花が好き。わたしは死ぬ前にフランスでラベンダー場かけを見たい。
プロバンスに行って、ラベンダーを見てきた。

クリスチャンとして生きることが、我慢して堪え忍んで行くことだと思っている人がいる。
しかし、主イエスは「豊かな命を生きる」と言われた。

弟子たちは、バプテスマのヨハネの弟子たちは、断食しているが?といった。
ヨハネにはヨハネの役割がある。しかし花婿がやってきたのだ。楽しもう」


北海道で8組の方々と食事したことがある。とてもフレンドリーでお互いにタッチしていた。
いろいろなところに行って、クリスチャンと出会い、魂の夏を感じさせられた。

インドに行った。インドにはカースト制度がある。
初期のイギリス人宣教師たちはカースト制を研究して、ブラフマンたちのために、学校とかを造れば、そのしたのカーストにまで流れていくだろうと考えた。
しかし彼らはカーストというものを理解していなかったのだ。それぞれのカーストは完結していて、他のカーストと関係をもたない。

そこで考え方を変え、まず、一番下の階層に近づくことが出来ないか考えた。
一番下の階層の人々のために、学校を造った。「善き羊飼い学校」
5000年の間、だれも彼らの教育をしようとしなかったのだ。

そして今、100以上の「羊飼い学校」がある。
彼らを訪問したとき、子どもたちはとても嬉しそうに勉強していた。

主イエスは小さな種のたとえをした。
小さなたちが育って大きな実を実らせる。
わたしはそれを世界中で見てきた。

スエーデンに行った時、たまたまヨーロッパの歴史について本を読んでいた。
バイキングだった彼らが、どうやってこのような落ち着いた国になったのか。
ちいさな福音の種がまかれたからだ。

●「秋について」
自分は最初雑誌社に勤めていた。有名な人に会えることはエキサイティングだと思っていた。有名人に出会うほどに、このような人にはなりたくないと思うようになった。
彼らがどれだけの薬を飲んで、一日を乗り越えているのかを知っている。そして人を見下している人もいる。。

主イエスはまったく違うやり方で、喜びを示された。
多くのものを手に入れることではなく、銀行口座にお金がいっぱいあることではなく、そうやって命を得るのではなく、他の人への奉仕によって、それらのものを差し出すことによって、「命を見いだす」と主イエスは言われた。

わたしは「仕える人たち」について本を書いた。
この世界の最底辺にいる人は、ハンセン氏病の方々だと思う。
その人々の中で働く医師たち。彼らこそ最も大きな喜びを知っている。
数百年の間、ハンセン氏病の人に仕える医者は、クリスチャンたちだけだった。

私たちははしごを登ろうとする。しかし、主イエスははしごを逆さになさる。

●「冬について」
アメリカで銃の乱射事件がある時など、「神はどこにいるのか」というテーマで話を頼まれる。
自分にも答えがあるわけではない。
しかし、神は苦しんでいる人たちに対して、どのような思いを持っているのかだけは、わかる。
涙で濡れたイエスさまの顔。

あなたに起こる何事でも、神様に用いられないことはない。
議論によって主イエスを信じるようになった人はない。知的にはうまくいかない。

まず、手を動かす。すると心にどどく。そして心から頭へと伝わる。

神様の愛をあらわすために、行動する。一方的に与える。伝道のためではなく。

冬の間、木は土の下に根を張る。最も成長するのは冬

やがて枯れたように見えた木々は、新しい命へと


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