「霊と肉を見分ける」

自分がしていることや、教会がしていることが、

聖霊に導かれている働きなのか、

肉に導かれている働きなのかを

みわけることは大切なのです。

聖霊の働きの方向性は、イエスキリストを証しすることで、

エスを真ん中にして、人と人とが愛によって繋がれていきます。

一方、肉の働きの方向性は、自分自身のプライドを強めていくことになるので、

プライド高い人と人とが、小さなことで衝突し、争い、分裂していくことになるからです。


自分がしていることや、教会がしていることが、

聖霊に導かれてやっているのか、

肉に導かれているやっているのかは、

どのような「実り」を結んでいるかによって、

やがて明らかになります。

一見、良い行いや、愛の行為にみえて、

やればやるほど、言えばいうほど、

イライラしたり、関係が悪くなったり、

自分は正しいと、プライドが高くなっていくようなら、

それは肉に導かれてしまっているのであり、

その末路は、残念なことになるでしょう。

聖霊に導かれるならば、

やればやるほど、言えば言うほど

自分は小さくなっていき、

エスキリストこそが、大きくあらわされていくのです。


使徒パウロの言葉

「肉の行ないは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。・・・・・

しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。

キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。」(ガラテヤ5:19-24)