神様は、天の親だから、いつもわたしたちに、神の子に語りかけてくださっているはず。
でも、往々にして、語られている言葉を、わたしたちは聞き流しているわけです。
聞く耳が閉じているんですね。
その理由の一つが、自分で勝手に「神の語りかけとはこういうものだ」とイメージしているからじゃないですか。
たとえば、「神学の勉強をした牧師」でなければ、神の言葉を語れないとか・・・
主イエスの時代の律法学者たちは、目の前に、主イエスという、100パーセント神の言葉を語っておられる方がいるのに、
「こんなナザレの田舎者の、若造が何を言うか」と、聞く耳を持たなかったんです。
話す人やその内容以前に、聞く人の心の扉の問題だということです。
神さまは今も「子ども」とか「普通の人々」をとおして、語りかけられるかもしれません。
主イエスは、今も、信じるすべての人の内に、聖霊として宿っておられるゆえに。
そういう意味で、神の言葉を語るとか、メッセージを語る人よりも、
実は、聞く人のほうが、実に大きなチャレンジを受けている
ということなんですね。