「感情に向き合う」

人間は、自分の意思で、理性的に行動しているつもりでも

決してそういうことはなくて

常に、感情に支配されて思考し、行動しているんです。

そして、感情は自分の意志でコントロール出来ないんですね。

たとえば、怒りの感情に支配されていると、

攻撃という行動に出るでしょう。

その攻撃は、暴力という形ばかりではなくて、

批判とか、詰問とか、果てしない議論という言葉による攻撃の形態を取る時もあるし、

沈黙とか、無視とか、逃避とか、そういう形で現れることもある。

いずれにしろ、関係を破壊する方向に、行動を駆り立てるていく力が

怒りという感情なんですね。

そういう自分の思考や行動を駆り立てている感情の力を認識して

自分の感情に気付き、感情に向き合い

なんで自分はこういう感情をいだいているのだろう、とか

今、自分はこういう感情に支配されているのだなと、

一歩退いて、自分自身の感情と向き合う練習、訓練が

非常に重要で、あらゆる益をもたらす、ということに

気づいている人ってそんなにいないんだなぁ、て思うんですよ。

父・母となる

家についたら、何をしますか。

放蕩息子のたとえ話の二人の息子たちは、両方とも父親のもとに戻ってきましたが、

さてそれからどうなるのでしょう。答えは簡単です。

二人とも、それぞれに父親にならねばならないのです。

息子は父親となり、娘は母親となります。

神の子どもであるということには、

成長すること、神と似たものとなるということが

当然含まれています。イエスはこのことをためらわずにおっしゃいました。

「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全なものとなりなさい。

あなたがたの天の父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい」

でも、どのように?

それは、父がわたしたちを家に歓迎してくださるのと同じように、

私たちも、見失っていた兄弟姉妹を家に歓迎することによってです。(ヘンリ・ナウエン)