「養殖人間?」(2014年3月9日週報巻頭言)

 先日、昔マグロ漁をしていたという漁師の人と雑談した。彼は、今はマグロも卵からの完全養殖が出来るようになって、「もう漁の時代じゃないですよ」とさえいう。

 でも、回転ずしなどに出てくるのは、そんな養殖のマグロ。「よくかみしめたら、トロも大トロも、みんな同じ味」と彼はいう。「養殖の○○も○○も、違う魚なのに、同じ味がする。同じ餌を食べているから」とのこと。

 当たり前の事だけれども、生き物は自分が食べたものできている。何を食べ、何を吸収するかが、その生き物をつくる。

 ことばもある意味食べ物。どんな言葉を聴き、どの言葉を信じ、心に受け入れ吸収するか。それがその人をつくる。

 学校でみんな同じ内容を学び、テレビでみんな同じ情報を聴き、同じことを信じ、受け入れ、まわりの人と同じであることに安心している人間とは、いい方は悪いが「養殖人間」ということだ。


 誰かが作った、養殖の池の中で泳いでいるのに、自分は大海原で自由に考え、自由に生きていると勘違いしているのは悲しく滑稽。

 2000年以上の歴史と、世界中のあらゆる文化という大海原のなかで生き抜いてきた、イエスの言葉にこそ聞くべきだ。

「真理はあなたたちを自由にする」
とイエスは言う。

 イエスを信じる信仰は、だれかと同じ教え、同じ生き方になることではない。むしろそんな「周りの人と同じで安心」という捉われから自由になることだ。

「みんなと同じ」だからといって、それは「真理」でもなんでもないのだから。

エスが「真理」と信じ、イエスの言葉に信頼し、大海原を自由に生きぬく人の、なんと幸いなことか。

「イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。」
  ヨハネによる福音書14章6節