加藤諦三さんの本に、こんなことが書いてあった。
真面目な人はまじめでありさえすれば、幸せが手に入ると勘違いしている。
それは、デパートの前で開店前から真面目に並んでいれば、ただで「商品」をくれると思い込んでいるのににている。
自分は開店前から並んでいたのに、あとから来た人が「商品」を買っていくのを見て、「不公平だ」と嘆いているのだ。
自分は真面目に頑張っているのに、「商品」が手に入らないと嘆くけれども、実はあとから来た人は、ちゃんとお金を払ってその「商品」を買っていることに気がついていない。
実は、自分はお金を払っていないから、「商品」が手に入らないことに気がつかない。
このデパートの「商品」が「幸せ」
そして、「信じること」、「信頼」が、その「商品」を買うためのお金。
真面目でも、人を信じることができなければ、幸せとは感じない。
真面目でも、愛されていることを信じられなければ、幸せとは感じない。
信頼を基本に、人と親しくコミュニケーションできなければ、幸せとは感じない。
人は、信頼することで、心がふれあい、繋がるときに、幸せを感じるように出来ているから。
たとえ人と繋がれない時でも、神に愛されていることを信じて、祈りで繋がれるなら、幸せを感じることができる。
人は、神と隣の人と、心通わせるためにこそ、生かされているのだから。
互いを繋ぎ、「幸せ」を手に入れるのに必要なのは、真面目さより、信頼する心なのだ。