強さとか弱さって、結局相対的なことなんですよね。絶対なことではないんです。
強さが善でもなければ、弱さが悪でもないですよね。
でも、自分の中にある「弱さ」を、みとめたくなかったり、隠したりすることがあるでしょう。
強く見える部分だけを見せようとするでしょう。
それって、弱さは「恥」とか「悪」と捉えているんですよね。
でもそれじゃあ、弱さの塊である赤ちゃんは「悪の権化」ということになりますね(笑)
自分ではなにもできない弱い赤ちゃんが、そのよわさ丸出しの姿と、無防備な笑顔一つで、どれだけ周りの人を癒していることでしょう。赤ちゃん力はすごいんです。
あかちゃんの弱さは、周りの人から愛や喜びを引き出す力があるんですよ。その意味で、弱さは強さと一つなんです。
自分の中の弱さは、「悪」でも「恥」でもなく、実は宝。
人々から愛や喜びを引き出し、分かち合わせるその宝を、隠して自分一人で頑張らなくてもいい。頑張らない方がいい。
神さまに「助けて」っていえる弱さこそ、実に強さでもあるのだから。
使徒パウロの言葉
新約聖書2コリント12章9節
「すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」