必要以上に自分を卑下しているときも、
必要以上に自分をより良いものに見せているときも、いずれも不自由です。
たぶんたいせつなのは、現実的なありのままの自分を知ること。
そして、ありのままの自分を愛することです。
愛は溢れていきます。
愛は決して涸れることがなく、
使ったからといって減ることがなくて、
愛は、また次の愛を生んで、世の中に愛が溢れていきます。
渡辺和子(ノートルダム聖心女子学園理事長)
いい言葉だなぁ。
大切なのは、ありのままの自分を受け止めてあげることなんだな。
でも、ありのままの自分を愛することが、自分にできるかな。
「いいんだよ」と自分をゆるしてあげられるかな。
「大切だよ」と自分を励ますことができるかな。
自分で自分に語ってみても、なんだか、うそっぽい。いや、たぶんうそだ。
ありのままの自分を愛せる愛なんて、自分の中にはないんだな。
そのことさえ、ありのままに認めるしかない、ということなんだ。
でも、イエス様だけは、こんな自分のありのままを
「いいんだよ」とゆるしてくださり
「大切だよ」と言ってくださる。
なぜだか、そのことだけは信じることができる。
十字架の赦しが自分のことだと信じられる。不思議なことだ。
でも、信じることができて本当によかった。
この愛を信じるところからのみ、涸れたり減ったりしない愛、というものが、あふれ流れてくるのだから。
「わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」(ヨハネによる福音書7章38節)