安息日の祝福

shuichifujii2008-01-27

 今日は、ユキティさんとママさんと午前中礼拝。今日は、十戒の4つ目「安息日」について。



 最近、妻が昔の友人と電話していました。その友人が去年結婚したとにき、勤め先から、一年は子どもを生まないようにといわれたのだそうです。ひどい話だなぁ。これは人権の問題じゃないか、と思いました。


 現代の、利益至上主義の企業にとって、優秀な人材とは、ロボットのように文句も言わずに休みなく働く人です。それなら、ロボットを雇えばいい話じゃないですか。


 人間はロボットではありません。人間が作ったロボットよりはるかに価値ある存在です。聖書は、神に似るものとして、人は創造されたと教えます。ですから、神が6日の間、この世界を造り、7日目に休まれたことに倣って、人も週に一日、安息する日を与えられている、というのが聖書の主張です。


 つまり、神に似るものとして、価値ある存在であるからこそ、むやみに働き続けるロボットになるのではなく、週に一度安息して、神を礼拝するのです。


 礼拝。それは人間にしかできない、もっとも、人間らしい価値ある行為。


 しかし、このままでは神の前に出ることのできない罪を抱えたわたしたち。その罪が、キリストの十字架によって赦され、主を礼拝させていただけるようになった。主の安息に生きることが許された。毎週、日曜日に集い、礼拝させていただけるようになった。これは、決して当たり前ではない神の恵み。真に人間らしく生きる道なのです。